聖書には「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)と書かれている。
これは、クリスチャンは罪を赦され、死後に天国に行くことを意味している。そして、死後に何が起こるかを恐れる必要は全くなく、私たちは怒る神ではなく、私たちを愛する天の御父である神と出会うのだ。
しかし、クリスチャンが持てるものはこれがすべてだろうか?いいえ、もっともっと多くのものが与えられている。
イエスは言った。「、、、わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」(ヨハネの福音書10:10)
詩篇作者は言った。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」(詩篇23:1)
聖書は、「、、、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き」(テモテへの手紙第一6:17)と、神に希望を置くようにと教えている。
また「、、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、自制です。」(ガラテヤ人への手紙5:22‐23)とも教えてくれている。
そう、クリスチャンは、信仰によって神の賜物である御子を自分の人生に受け入れ新しく生まれ変わるときに、御霊の実を結び、永遠のいのちが約束されるのだ。
そして私たちは天国への希望と同時に、日々神の愛や慈しみを享受している。信者として、私たちは今この瞬間も、また将来天国においても祝福を受ける。
もしこの確信を持てずにいるのであれば、ぜひ牧師か私に連絡してほしい。