主の御手(2025年12月3日投稿分)

傷だらけで使い古されたバイオリンに、競売人は時間を費やす価値すらないと思った。しかし彼は微笑みながらそれを掲げた。「さあ、皆さんおいくらで買いますか?」と叫んだ。「入札する人はいませんか?1ドル、1ドル――では2ドルは?3ドル、3ドルはいませんか?」その時、部屋の奥から白髪の男が前に進み出て弓を手に取った。そして、古いバイオリンの埃を払い、緩んだ弦をすべて張り直すと、彼は汚れなき甘美な旋律を奏でた。まるで賛美歌を歌う天使たちのように甘美な旋律を。

音楽が止み、競売人は静かに低い声で言った。「この古いバイオリン、おいくらで買いますか?」と弓を掲げた。1000ドル、3000ドルでどうだ? 3000ドル、3000ドル、3000ドル、落札」と彼は言った。

人々は歓声を上げ、中には泣く者もいた。「どういうことだ?何が価値を変えたのだ?」するとすぐに返事が返ってきた。「主の御手だ。」

人生の歯車がかみあわず、傷つき、罪という烙印を押されている人の多くは、あの古いバイオリンのように、思慮のない群衆によって安く競り落とされていってしまうのだ。(著者:Myra Brooks Welch)

この短い話は、聖書が人類について教えているものだ。創世記から黙示録に至るまで、神はあの古いバイオリンのように、救いを必要とし救いを望んでいる人々を探しておられる。もしあなたがイエスを信じる者でありながら、古いバイオリンに自分を重ね合わせるのであれば、完全な回復のために罪の告白と悔い改めが必要だ。

もしあなたがイエスを信じていないけれど、人生を変えたいと願っているのであれば、次の簡単な祈りを捧げてほしい。「イエス様、あの古いバイオリンのように、私の人生を変え、私の主となってください。どうか私を助けてくれる人を送ってください。」

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なぜ主を知るべきなのか?(2025年11月30日投稿分)

わがたましいよ、主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ、聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ、主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇10312

主を知ることで、どんな恩恵を得られるのだろうか?

詩篇103篇から、理由をいくつか挙げたいと思う。

3節―主は、あなたのすべての咎を赦してくださる。(主は赦し、忘れてくださる)

3節後半―主は、あなたのすべての病を癒してくださる。(復活の身体は病を知らない)

4節前半―主は、あなたのいのちを滅びから救われる。(私の人生は破滅へと向かっていた)

8節―主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのに遅く、恵み豊かである。(恵みとは、自分が値しないもの、つまり赦しと天国を受け取ること。憐みとは、自分が値するもの、つまり裁きと地獄を受けないこと。)

10節―私たちの罪にしたがって、私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって、私たちに報いをされることもない。(神の御前に一人で立ち、罪の責任を負わなければならないすべての人を私は気の毒に思う。)

13‐14節―父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。主は、私たちの成り立ちを知り、私たちが土のちりにすぎないことを、心に留めてくださる。(神はあなたが人間であることを知っていながら、それでもあなたを愛しておられる。神はあなたが弱いことを知っていながら、それでもあなたを愛しておられる。)

詩篇103篇全体を読むことをお勧めしたい。そして、主が良くしてくださったすべてのことをほめたたえよう。

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神との休戦(2025年11月27日投稿分)

第一次世界大戦は1918年11月11日11時に終結した。この日は「休戦記念日」と呼ばれる。この日から今日に至るまで、世界各国はこの時と日付を「すべての戦争を終わらせるための戦争」の終結として記憶している。

1918年、世界には平和が満ち溢れた。しかしながら、人類の始まりから今日に至るまで、別の戦争が存在し続けている。

聖書は、この世を愛することは神と敵対することだと述べている。「、、、世を愛することは神に敵対することだと分からないのですか。世の友となりたいと思う者はだれでも、自分を神の敵としているのです。」(ヤコブの手紙44

この世の友となることは、不道徳な人間であることを意味するのではない。それは単に神との関係を持たないことを意味する。その人の人生には神の居場所がないのである。

1918年11月に国家間の戦争が終結したように、私と神との戦いも1951年に日本の佐世保で終わりを迎えた。私はこの世に生きながらイエスに従うことを選んだ男性たちのグループと出会い、私も彼らと同じようにイエスに従うことを決意したのだった。

こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ人への手紙51

しかし、神は征服者として私の人生を破壊するために来たのではなく、愛をもって私の人生を美しいものに変えるために来てくださった。

「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第二517

1951年に、私は自分が天国に行くに値しないという神の言葉に同意し、イエスの犠牲の上に私の救いがあるという神の約束を信じた。その日から今日まで、神は慈愛に満ちた天の父として私と向き合ってくださっている。

あなたは神との「休戦記念日」を持っているだろうか?もしまだなら、今日、次の祈りを捧げることで、休戦記念日を迎えることができる。「神様、私は天国に行くに値しない人間であることが分かりました。しかし、今はイエス様を救い主として信じ、私の人生にお迎えすることを願っています。」

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アメリカの感謝祭:歴史と適用(2025年11月11日投稿分)

1619年、39人のイギリス人入植者が新世界、アメリカ大陸に上陸した。彼らの船の勅許状には、到着後、大西洋の安全な航海を神に感謝し、共に集うことが義務付けられていた。これは毎年行われることになっていた。

1789年、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンは、感謝の日を定める一般布告を宣言した。

1941年、アメリカ合衆国議会は感謝祭を毎年11月の第4木曜日に祝うことを決定した。これは連邦法で定められた休日となった。

2025年、今日の感謝祭は、ほとんどのアメリカ人にとって仕事から解放される休日であり、家族が集う日である。しかし、世界中のクリスチャンにとって、感謝祭は神の慈しみと、神がその子どもたちに与えてくださった恵みについて思いを巡らす日となっている。

今年、私が感謝していることのいくつかを皆さんに共有したいと思う。

身体的健康——ここ数年、今日に至るまで数多くの健康問題に悩まされてきた。しかし周りを見渡せば、私よりもはるかに苦しんでいる人々がいる。

経済的健康 — 私は必要を満たすための適度な収入を得ている。一方で、日々ぎりぎりの生活をしている人々もいる。

精神的健康―概して私の精神状態は安定しているが、孤独や喪失感に苛まれる時期もある。男性も女性も、ほとんどの人が人生のどこかで気持ちの落ち込みや絶望を経験するだろう。

道徳的健康——これは非常に微妙な問題だが、男性も女性も皆に共通するものであり、程度は人によって異なる。きちんと対処しなければ、大きな問題を引き起こすことになるだろう。

霊的健康——人生において最も重要な領域は、おそらく霊的健康である。個人的な評価でどのような結果が出ようとも、これが最も重要だ。神の御前で、もしあなたがイエスに信頼を置いているならば、霊的に健全であることを意味する。

これらの5つの健康問題を見直し、それぞれを効果的かつ迅速に対処されることをお勧めしたい。

もしあなたがどの分野でも足りなさを感じたら、次の簡単な祈りを捧げてほしい。「神様、私はこれらの分野のいくつかで助けが必要です。私が何をすべきか分かるように助けてくれる人へと導いてください。」

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天国への道はいくつもあるのか?(2025年11月7日投稿分)

聖書は、イエスを信じる信仰によってのみ、罪の赦しと永遠の命の保証が得られると明確に教えている。

どうしてそんなことがあり得るのか?天国へ通じる道はいくつもあるのでは?誠実であればそれで十分なのでは?答えは簡単だ。聖書が、イエスこそが神(天国)への唯一の道であると教えているからだ。

イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネの福音書146

聖書に書いてある。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(使徒の働き412

しかし、なぜイエスのみなのか。

答えは明らかで、イエスこそが「、、世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネの福音書129であるからだ。

イエスは罪を犯さなかったため、罪を贖うための完璧な犠牲(ささげもの)となられた。しかし、他のいかなる崇拝対象も、他のいかなる宗教も、そのように主張することはできない。男も、女も、動物も、他のいかなる創造物もだ。

聖書は語る。「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」(コリント人への手紙第二521

聖書には、ある時、恐怖に怯えたローマの看守がイエスの弟子たちに非常に簡単な質問をした話が記されている。「先生方、救われるためには、何をしなければなりませんか。」(使徒の働き1630

使徒たちの返答も同様に簡単なものだった。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き1631

もしあなたが罪の赦し、神との平和、そして永遠の命に関心があるなら、イエスを信じてほしい。そうすれば、イエスはこれら三つすべてによってあなたを祝福してくださるだろう。

死ぬことや死後どうなるのか心配しているのであれば、次の短い祈りを唱えてほしい。「イエス様、私は罪の赦しと神との平和、そして永遠の命を望みます。今この瞬間、あなたを私の救い主としてお迎えします。」

さらに質問があれば、rerj56@gmail.com までご連絡ください。喜んで詳しくご説明します。

空欄を埋めてみよう (2025年10月29日投稿分)

聖書を読み、理解するには二つの方法がある。(1) 聖書を字義通りに読む(理解する)ことと、(2) 聖書が自分に何を語っているか(適用する)ということだ(テモテへの手紙第二 4:17)。聖書は、特定の出来事や人物に関する歴史的記録だが、しかし、それは読む人すべてに導きを与えるために記されたものである。詩篇118篇から以下の節を読んで、空欄(_______)にあなたの名前を書き込んでみてほしい。

第1節「(  )主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」

第2節「さあ(  )よ、言え。『主の恵みはとこしえまで。』と」

第3節「さあ(  )の家よ、言え。『主の恵みはとこしえまで。』と」

第4節「さあ主を恐れる(  )よ、言え。『主の恵みはとこしえまで。』と」

第5節「苦しみのうちから、(  )は主を呼び求めた。主は答えて、(  )を広やかな地へ導かれた。」

第6節「主は(  )の味方。(  )は恐れない。人は、(  )に何ができよう。」

ここで聖書の中で最も有名な聖句であるヨハネの福音書316と17節を読んでみよう。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに(  )を愛された。それは御子を信じる(  )が、滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を(  )に遣わされたのは、(  )をさばくためではなく、御子によって(  )が救われるためである。」

聖書を読むときは、常にそれが神からあなた個人へのメッセージであることを理解しながら読んでほしい。

読者の皆さん、もしあなたが神がどのようなお方であるかを理解し、個人的に神を知りたいと願うなら、次の聖句に従ってこの祈りを捧げてほしい。「、、もし(  )の口でイエスを主と告白し、(  )の心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、(  )は救われるからです。(  )は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ人への手紙10910

今こそ、あなたが神のために生きることができるように手助けしてくれる人に、あなたの人生が導びかれるように祈ろう。

なぜイエスに従うことを選ぶのか?(2025年10月25日投稿分)

イエス・キリストは、今も昔も普通の人ではない。彼は人の子であると同時に、神の子である。何世紀にもわたり、何百万もの人々が彼の教えを信じ、彼に従い、キリストの名前から由来するクリスチャン=キリスト教徒という名で認知されることを選んできた。

今日世界の多くの地域で、キリストは拒まれ、キリスト教徒は迫害され、聖書を所持することや読むことが禁じられている。それでも世界中の人々は、機会があれば、なおイエスに従うことを選ぶ。それはなぜだろうか?

ここにその理由をいくつかを挙げたいと思う。

+彼にあって私たちは贖われ、罪の赦しを得た。+彼は、見えない神のかたちである。+彼によって万物は創造された。+すべてのものは彼によって、そして彼のために造られた。+彼はすべてに先立って存在し、すべてのものは彼において成り立っている。+神は、ご自身の満ち満ちたものがすべて彼のうちに宿ることを喜ばれた。+そして神は、十字架上で流された彼の血を通して平和をもたらし、万物をご自身と和解させられた。+かつて私たちは悪しき行いゆえに神から離れ、敵対する者であった。+今、私たちは神の目に聖なる者であり、傷のない者、責められるところのない者である。(コロサイ人への手紙第1章より)

この招きは明確であり、イエスを受け入れ従うことを選ぶすべての人々に開かれている。

イエスは言われた。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書1128

もしあなたがまだ神の家族の一員でないのであれば、今日イエスを信じ、何世紀も前から現在に至るまで続く敬虔な信者たちの仲間入りをしてほしい。そうすれば、神はあなたとあなたの家族を祝福してくださるだろう。

もしこれがあなたにとって初めてのことであっても、イエスが与えてくださるすべてを望むなら、次の簡単な祈りを捧げてほしい。「イエス様、どうやってあなたを喜ばせる生き方ができるのか、より正しく教えてくれる人へと私を導いてください。」

神の愛は特別(2025年10月20日投稿分)

神の愛の素晴らしさは、無条件の愛にある。

、、、神の愛は、私たちが善良だから与えられたのではない。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙58

、、、神は私たちが神を愛したから、その愛を与えてくださるわけではない。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネの手紙第一410

、、、神の愛は人間の愛とは異なる。神の愛は永遠に続いていく。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。」(エレミヤ書313

、、、また、神の愛はあらゆる困難に耐え得る。「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか、、、、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ人への手紙83539

、、、そして、神の愛が特定の民族だけに限定されることなく、他のすべての人々にも与えられるとは、なんと胸躍ることか。神の愛は世界全体に向けられている。

イエスは語った。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書316

この神こそが「、、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方」(使徒の働き424なのだ。

そして、この神はあなたを愛し、あなたにご自分のことを知ってほしいと願っておられる。

新しい読者のみなさんへ、もし神様があなたを愛していないのではないかと恐れているなら、神様はあなたを愛しておられます。そして、神様はあなたにもご自身を愛してほしいと願っておられるのです。もし自分に価値がないと感じているなら、どうかこのとても簡単な祈りを捧げてください。「天の神様、私は自分が愛されるに値しない者だと知っています。しかし、あなたが私を愛し、私の人生を変えてくださると信じています。どうか、あなたを知る方法と、あなたへの愛を表現する方法を教えてくれる導き手をお送りください。」

私がイエスに従う10の理由(2025年10月13日投稿分)

ほとんどの人は誰かを追いかけて、その人のようになりたいと思っている。

私たち一人ひとりが違うからこそ、その人も異なる。その人はたいてい、偉大な功績で認められた人だ。男性であれ女性であれ、心から尊敬し、心から憧れる人が一人はいるものだ。私にもそんな人が二人思い浮かぶ。

私を心から愛してくれた最初の人は、65年間連れ添った最愛の妻であり、今は主のもとにいる。彼女は私を愛し、大切にしてくれた。その愛に勝るものは他にない。

私を心から愛してくれた二人目は、私が若い頃、アメリカ海軍に所属し日本の佐世保にいた頃に現れた。彼は私が生まれる前から私を愛してくれていた。聖書に記されているナザレのイエスこそがその方だ。

主は私の人生を変えてくださった。私は生きている限り、主を賛美し続ける。息を引き取る瞬間まで、私は主を賛美の歌で讃えるだろう。

私が主を愛し賛美する理由は、海岸を覆う砂粒の数ほどある。そして冬の日に舞い散る雪片の数ほど膨大で、実に多様性に富んでいる。

以下に、私が主を愛する10の理由を挙げたい。これらは詩篇146に記された詩篇作者の言葉だ。また、ぜひ詩篇全篇を読んでみることもお勧めしたい。

1.ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く人は幸いである。(5節)

2, 主は、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方。(6節)

3. 虐げられている者のためにさばきを行い、飢えている者にパンを与える方。(7節前半)

4. 主は捕らわれ人を解放される。(7節後半)

5. 主は目の見えない者たちの目を開ける。(8節前半)

6. 主はかかんでいる者たちを起こされる。(8節中半)

7. 主は正しい者たちを愛される。(8節後半)

8. 主は寄留者を守られる。(9節前半)

9. 主はみなしごとやもめを支えられる。(9節後半)

10.主はとこしえに統べ治められる。(10節)

そして最後に、私が主を愛するのは、まず最初に主が私を愛し、私のためにご自身を捧げてくださったからだ。(ヨハネの手紙第一 4:19

このブログを読み、あなたの人生が変わったのなら、今ここで立ち止まり、「主よ、感謝します」と祈ろう。

読者の皆さん、もしこれらがすべてが初めてのことで、もっと知りたいと思うのならば、次の簡単な祈りを捧げてほしい。「イエス様、私は人生にこれらのことを望みます。どうか私があなたを理解するのを助け、あなたを知る方法を教えてくれる人へと導いてください。」

終末時代の兆し:2025  (2025年10月5日投稿分)

二千年前、イエスの弟子たちは彼に非常に重要な質問を投げかけた。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」(マタイの福音書243

イエスはマタイによる福音書24章でさらに、終わりの日には次のような兆しがあると言われた。(1) 戦争と戦争の噂 (2) 飢饉 (3) 疫病 (4) 地震 (5) キリスト教徒の逮捕、迫害、殺害。

どこかで聞いたような気がしないだろうか?その通り。今日の世界では:(1) 中東やその他の地域で戦争の噂が絶えず、(2) 世界で23億人が飢えに苦しみ(3) あらゆる病気が世界を脅かしている。(4) 2024年には世界中で約9,000人が地震により死亡した。そして(5) 世界中のキリスト教徒は絶えず逮捕され、迫害され、処刑されている。

これらすべての出来事は、世の終わりと審判が近づいている兆候である。

これは悪い知らせだ。

しかし、良い知らせもある。聖書は「主は、、、、だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(ペテロの手紙第二39と言っている。

そして悔い改めの方法は、実に明確だ。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き1631

もしあなたがイエスを信じているのならば、神を賛美しよう!もしイエスをまだ信じていないのならば、信仰によって今日信じてほしい。時は短いのだから。

親愛なる読者の皆様、もしあなたがここで描かれている世界を認識し、来たるべき裁きから逃れるために何をすべきか分からないなら、次のような簡単な祈りを捧げてください。「神様、私はあなたについてよく知りませんが、あなたが世界についておっしゃっていることには賛同し、信じたいと思います。どうか、私を助けてくれる人を私の人生に送ってください。」