「数々の書物」それとも「いのちの書」?

天国において、あなたの名前は「数々の書物」に書かれているのだろうか?それとも「いのちの書」に書かれているのだろうか?あなたの愛する人々の場合はどうだろう?

聖書は、いつの日か神の御座の前で開かれる書物について語っている。

「また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。、、、、、死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。」(黙示録2012)「……彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた」(13節)。すべての人の名前はこの「数々の書物」に記されており、そこには、天国への入場を妨げる罪が記録されている。

「数々の書物」に名前が記された人々は皆、神の前から永遠に失われることになる。

しかし、聖書はもう一つの別の書物についても言及している。

「書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。」(黙示録2012

いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれる。」(黙示録2015

人の名前は、どうすれば「数々の書物」から「いのちの書」へと変更可能となるのだろうか?

人がイエス・キリストを信じる信仰によって、創造主である神を愛し、仕えることを選ぶとき、その人の名前は「数々の書物」から消され、「いのちの書」に記される。それは永久に残り、決して消されることはない。

「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ人への手紙81

私の祈りと心からの願いは、あなたの名前とあなたが愛する人々の名前がすべて「いのちの書」に記されることだ。

もしあなたの名前がどちらの書に記されているかどうかについて質問がある場合は、私か、クリスチャンの友人、または牧師に連絡して助けを求めてほしい。

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