もしあなたが正しい選択をすれば、宝物はいたるところにある。
「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。」(マタイの福音書6:19‐21)
ここでの肝心な質問は、あなたの宝物がどこにあるかではなく、あなたの心がどこにあるかということだ。聖書は「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。」(エレミヤ書17:9)と言っている。
だからこの件に関しては自分の心を信頼してはいけない。イエスの次の言葉を信じるべきだ。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイの福音書6:33)
私には、この世で富と成功を得て、天国に宝を蓄えている友人がたくさんいる。彼らは皆、正しい決断をしたからだ。
聖書はこの問題に関して、天の父は自分の子供たちが与えられた祝福を享受することを望んでいることを明らかにしている。「今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、来るべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。」(テモテへの手紙代位chい6:17‐19)
私からあなたへの祈りは、あなたが所有するすべては、一時的ではかないものであることを悟り、今持っているものを楽しみながら、自分の人生において神を第一とすること、何事につけそれらを神のために用いて天国に宝を蓄えてほしいということだ。