聖書には、クリスチャンであるあなたのからだはあなたの内にある聖霊の神殿であり、そのように維持されるべきである、と書かれている。
「あなたがたは知らないのですか?あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」(コリント人への手紙第一6:19‐20)
あなたは自分のからだを通して、どのように神を讃えているだろうか?イエスのために実り豊かで有意義な人生を送りたいと願うなら、男性であれ女性であれ、自分の神殿の装いについて考えなければならない。
服装はあなた自身を反映する。控えめな服装になることもあれば、挑発的な服装になることもあるだろう。服装は、あなたが付きあっている仲間を反映し、あなたが考えていることを反映する。またあなたの社会生活を反映するかもしれないし、あなたが自分自身についてどう考えているかを反映することもある。
そしてあなたの服装は、人生の目的を反映することもある。それは、世間を喜ばせるためか、それとも神を喜ばせるためかということだ。もし世間を喜ばせることが人生の目的なら、世間を喜ばせる服装をしなければならないし、もし神を喜ばせることが目的なら、神を喜ばせる服装をしなければならない。
聖書は良い妻になるという問題について述べているが、その延長線上には、神を喜ばせようとする男性についても同様のことが言える。
「あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。」(ペテロの手紙第一3:3‐4)
今日、人々が福音を信じて救われるために、自分自身の生活習慣や在り方を捨てて柔軟に奉仕する人々もいる(コリント人への手紙第一9:19‐23)。これは素晴らしいことであり、私たちはそれを批判すべきではない。神の子として、以下のように、私たちは皆選択する権利を持っているのだから。
「ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。こういうわけで、私たちはもう互いにさばき合わないようにしましょう。いや、むしろ、兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを置くことはしないと決心しなさい。」(ローマ人への手紙14:12‐13)
神の栄光のために、今日もあなたの神殿であるあなたのからだを守り、装い、神の恵みを享受してほしい。質問があれば、私または牧師まで連絡してください。