私たちは、現在や将来について計画し、神が祝福してくださるように祈ることができる。
いろいろな方法がある。本を読んでチャレンジしたり、神の召命についての講演会を聞いたり、自分には才能があると励ましてくれるカウンセラーの話を聞いたり、兄や姉の成功に刺激を受けたり。これらはそれぞれに価値がある。しかし、神はあなたに別の道を用意されているかもしれない。
一つ確かなことは、神は私たちの歩みを導きたいと願っておられる、ということだ。上記のような方法もあるけれど、主はあなたにもっと良いご計画を用意しておられるかもしれない。祈りを込めて主に導きを求めるなら、主はきっと導いてくださる。しかし、あなたは神の声に敏感になり、神の導きに従う意志を持たなければならない。
詩篇123:2には、天の父が私たちのために立てた計画を、私たちがどのように見極めるべきかが、非常に明確に示されている。
「まことに、しもべたちの目が主人の手に向けられ、使える女の目が女主人の手に向けられるように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれんでくださるまで。」
このみことばの場面の設定に注目しよう。あなたは、大勢の人がいて騒がしい食堂で働く使用人だ。客たちは笑い合い、歓談している。食事は半分ほど終わり、あなたは雇い主から少し離れたところに立っている。あなたは常に注意を払い、主人の様子を伺うように訓練されているので、もし彼があなたに何か用があれば、彼は手を挙げ、あなたはすぐに彼のところへ行き、何をしてほしいか小声でたずねるだろう。
この適用の一つの例として、列王記上19章9-15節がある。この箇所でエリヤは命からがら逃げ出し、諦めて死ぬ覚悟をしている。しかし、神は預言者に語りかけられた。最初は激しい風、次に地震、次に火、そして最後に低いささやき声で。神があなたの注意を引き、指示を与えたいと願われている時には、あなたは神の声に耳を傾けなければならない。
神はあなたを愛し、あなたの人生に素晴らしい計画を持っておられる。しかし、あなたはすべてを神の前に捧げること、そして神の声が聞こえたならば、耳を傾け、主に従わなければならない。どうすれば神の声を聞くことができるのだろうか?それは、主と個人的に静かな時間を持つこと、忠実な従者による聖書の説教を聞くこと、そして神の言葉を個人的に学ぶことだ。
イエスは言った。「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネの福音書10:27)
もしあなたが決断を迫られていたり、困難な状況に置かれているなら、風や地震や火を待つのではなく、率先して主イエスがささやかれる声に耳を傾けてほしい。上記のステップに従い、確認が必要な場合は、牧師や主にある兄弟姉妹に助言を求めよう。
私は「信頼と従順」という古い歌が大好きだ。なぜなら信じて従う以外に、イエスにあって幸せになる方法はないからだ。
あなたの人生に対する神のご計画に対して、あなたはどのくらい敏感ですか?