私たちは朝仕事に行き、一日中働いて、衣服や食料、住むためのお金を稼いでいる。週6日働く人もいれば、週7日毎日毎日働き続ける人もいる。
長時間働き、しばしば家族のことをないがしろにしながら、その報いは給料という形で得られる。しかし給料だけでは、私たちが望むことや必要なことすべてを成し遂げるために十分でないことがよくある。
しかし責任ある人生を送るためには、これらすべてが必要なのだ。聖書は教えてくれている。「もしも親族、特に自分の家族の世話をしない人がいるなら、その人は信仰を否定しているのであって、不信者よりも劣っているのです。」(テモテへの手紙第一5:8)
果たして人生はこれがすべてだろうか?もっと何かがあるのではないだろうか?イエスは問いかけた。
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。」(マルコの福音書8:36)
確かに、私たちは家族を養うために働くべきだが、神との関係をないがしろにしてはならない。
イエスは言った。「いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。」(マタイの福音書6:25)
そしてまた次のようにも言っている。「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。、、、、、」(マタイの福音書6:19,20)
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイの福音書6:33)
責任感のある人は働き、家族を養う。しかし、人生に意味を持たせるためには、まずイエス・キリストへの信仰を通して、神との有意義な関係を築かなければならない。どこで、何を、誰と、、、あなたは何を優先するだろうか?忙しいスケジュールの合間をぬって、聖書に啓示されている神を求めてみよう。助けが必要ならば、牧師やクリスチャンの友人に相談してみよう。
神を求めよう。きっとあなたとあなたの家族を祝福してくださるだろう。