自分はまったく愛されていない、自分には何の価値もないと感じたことはないだろうか?
イエスは、地上のすべての人は神に愛されていて、尊い存在であることを教えられた。
イエスは、100匹の羊を飼っていた羊飼いのもとから、1匹の羊が群れから外れて迷子になったことを話された。羊飼いは99匹の羊を残し、迷子になった1匹の羊を探しに行った。羊飼いはその羊を見つけるまで探し続け、安全な所まで連れ帰った(ルカの福音書15:4-7)。
またイエスは、貴重な銀貨を10枚持っていた女性の話をされた。そのうちの1枚が行方不明になったため、彼女はランタンを灯し、床を掃き、そのコインを見つけるまで注意深く探し続けた。(ルカの福音書15:8-10)。
それからイエスは、二人の息子を持つ男の話をされた。息子の一人が父親のもとへ行き、父の財産の分け前を要求した。父親は全財産の半分を息子に与えた。息子はそのお金を持って別の町へ行き、放蕩三昧の日々を送った。ところが、お金が尽きたころに、その土地に大飢饉が起こり、彼には食べるものが何も残っていなかった。飢えに苦しむ息子は、自分の行いが間違っていたことを告白し、息子としてではなく、雇い人として仕事をさせて欲しいと頼むために父親のもとへ帰った。息子が家に帰る途中、父親は息子の姿を見つけ、息子に駆け寄り、キスをして、雇い人としてではなく、息子として迎え入れた。(ルカによる福音書 15:11-24)
聖書は、私たちは皆、神から遠く離れ、失われていると教えている。イエスは、失われた者たちを探し求めてこの世に来られた。そして「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのである」(ルカ19:10)と言われた。
上の三つの物語に共通するのは、持ち主が失った所有物や責任あるもの、つまり羊、銀貨、息子に抱いていた愛である。もしあなたが羊や銀貨のように行方不明になったり、放蕩息子のように生きる道に迷ってしまったとしても、神はあなたを愛し、探し求めておられる。
今日、神は御霊と真理によって神を礼拝する人々を探しておられる。もしあなたが放蕩息子のようであるなら、愛する天の父のもとに戻ることを選ばなければならない。
もしあなたが羊であろうと、銀貨であろうと、神はあなたを探しておられる。神の愛を受け入れ、あなたの人生に神が来てくださるように願うなら、あなたの心と来るべき天国には大きな喜びが訪れることだろう。
あなたは愛されていますか?もちろんです!