人はどうやって成功を測ることができるのだろうか?どうやって自分が成功したかどうかを知るのだろうか?
成功を測る方法は様々だ。多くの人の目には、大金持ちが成功者と映る。他の人たちにとっては、その職業でトップに達した人であろうし、同業者から尊敬されることもまた別の尺度である。スポーツ選手にとっては、優勝することであり、学生にとっては奨学金を獲得することだろう。
これは私たちが成功を測る方法だが、神は別の尺度を持っておられる。
おそらく歴史上最も賢い人であるソロモン王はこう言った。「、、、競争は足の速い人のものではなく、戦いは勇士のものではない。パンは知恵のある人のものではなく、富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではない。、、、、 」(伝道者の書9:11)
預言者エレミヤは次のように語った。「―主はこう言われるー知恵ある者は自分の知恵を誇るな。力ある者は自分の力を誇るな。富ある者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。私は主であり、地に恵みと公正と正義を行う者であるからだ。まことに、わたしはこれらのことを喜ぶ。―主の言葉。」(エレミヤ書9:23‐24)
確かに、私たちは教育を受け、健康に留意し、お金を稼ぐ必要がある。しかし、これらは一時的なものであり、ひょっとしたら明日には消えてしまうかもしれない。私たちはそれらを永遠に持ち続けることはできないのである。
真に成功した人とは、創造主を知り、その方に仕える人のことである。したがって、貧しい人も金持ちも、無学な人も教育を受けた人も、弱い人も強い人も、誰もが人生に充実感を見出すことが可能となる。
あらゆる努力において、神への礼拝と奉仕こそが神の成功の尺度であることを見逃さないでほしい。そうすれば、いつの日か「よくやった、忠実で良い僕よ」という言葉を聞くことになるだろう。
イエスに従う歩みの中で、あなたが経験した成功についてぜひ聞かせてほしい。