なんという慰め!それとも、、?(2024年12月27日投稿)

私は歌う。幸せだから。

私は歌う。自由だから。

主の目は雀の上にも注がれているのだから、

主は私のことも見守ってくださるのだ。

これは1934年に作られた歌の一節で、私たちに対する神の素晴らしい愛についての真理を語っている。一羽のスズメが地面に落ちたことにさえ気づいてくださるほどに、神の愛は慈悲深いものである。それゆえ、神はあなたのことも私のことも見ておられるのである。これは慰めだ。主は、私たちが傷ついているとき、悲しんでいるとき、誰にも気付かれないニーズを抱えているときを知っておられる。一言で言ってしまえば、天の父は私たちのことをすべてご存知であるということだ。素晴らしい真理ではないか!

そう、それは素晴らしい真理だが、そのコインの裏を返せばいささか気が重くなる。主は私たちを見ているし、他の人たちが何も知らないようなことも知っている。明るみにでれば、天の父の子として非常に恥ずかしいと思うことまでもすべてご存知ということだ。はっきり言っておくが、私がここで話しているのは、告白して赦された多くの罪のことではなく、人生におけるグレーゾーン(自分の心の中ではそうではないと分かっているのだが)であり、神と人の前で本来解決されるべきことである。聖書はこのことについてはっきりと語っている。「こういうわけで、なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人には罪です。」(ヤコブの手紙417

あなたが長年抱え込んでいるグレーゾーンは何だろうか?それに向き合う決心をして、神の御力を信頼すれば、神は喜んであなたを助けてくださる。

あなたが天の父に何かを告白する時、神はすでにその問題についてご存知であること、そしてあなたがそのことを、祈りを通して語ってくれることを信じて疑わずにずっと待ち望んでおられることを忘れないでいてほしい。

行動力のある弟子となるためにすべきことのTo doリストを作り、それを実行しながらチェックしていくことをお勧めしたい。

そう、確信に満ちた従順さでイエスとともに歩むとき、私たちはイエスにあって幸せであり自由なのだ。

主に従うあなたに祝福がありますように。

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