イースターはイエス・キリストの復活を思い起こし、祝う日である。4つの福音書にそれぞれ記録されている(マタイの福音書28:1‐6、マルコの福音書16:1‐20、ルカの福音書24:1‐12、ヨハネの福音書20:1‐29)。聖書研究において、2回以上繰り返される内容は、注意を払う必要があるという原則を覚えておこう。
復活の事実は、コリント人への手紙第一15:3‐4に明記されている。
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、(1)私たちの罪のために死なれたこと、また、(2)葬られたこと、また、(3)聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと」
復活の意義については、コリント人への手紙第一15:17,20で明確にされている。
- そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら(1)あなたがたの信仰は空しく(2)あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。
- しかし、今やキリストは、死者の中からよみがえられました。
- 眠った者の初穂として。
イースターはまた、信者の復活を記念し祝う日でもある。
1.信者は、キリストにあって生かされた。
「背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」(エペソ人への手紙2:5)
2.信者は、キリストにあって新しく造られた。
「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第二5:17)
自然そのものは、この世のはじめから、イエス・キリストの復活のために人々に備えをしてきた。神はすべての人の心の中に、新しい命、つまりより良い命への復活の願いを植え付けられた。毎年新しい誕生を経験する自然とは異なり、私たちはイエス・キリストの復活に参加することを自分で選び取らなければならない。そしてこれはたった一度きりで良いのである。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネの福音書1:12‐13)
一度生まれ変わったのならば、もうそれ以前に戻ることはない。
もしこれがあなたにとって意味のあることだと思うのならば、クリスチャンの友人を探すか、牧師に会いに行き、次のようなシンプルなリクエストをしてほしい。「 私は生まれ変わりたいのです。」