2月は伝統的に愛を祝う月であり、どの国にもそれぞれ素晴らしい愛の物語がある。フランスにはナポレオンとジョセフィーヌ、ギリシャにはオルフェウスとエウリュディケ、エジプトにはクレオパトラとマルクス・アントニウスがいる。
インドのタージ・マハルは、ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンが、出産で亡くなった妻への愛の記念碑として建造した。建設には約22年を要し、インド全土と中央アジアから2万人の労働者を動員した。建設費は3200万ルピー(インド通貨)であった。
しかし、史上最も偉大な愛の物語は、40人の異なる著者によって三つの言語で書かれ、完成までに1500年を要した書物に記されている。
その書物とは聖書であり、愛である神の御心そのものを明らかにしている(ヨハネ第一 4:8)。多くの愛する者とは異なり、神の私たちへの愛は、私たちの功績や愛される価値に基づいたものではない。私たちが愛されるに値しない時に、神は私たちを愛してくださった。聖書にはこう書かれている。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5:8)
また、神が私たちを愛してくださるのは、私たちが神を愛したからではない。神が最初に私たちを愛してくださったのだ。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネの手紙第一4:10)
しかし、人間同士の愛と神の私たちへの愛には、少なくとも一つの共通点がある。それは、差し出された愛は受け取られなければ、その人のものにはならない、ということだ。私は私を愛してくれない多くの人々を愛している。イエスは世の人々を愛されたが、世の人々はイエスを愛さなかった。
神の愛は、御子イエスキリストを通して私たちに差し出されている。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)
イエスを拒む者は、神の愛も拒む。私たちは信仰によってイエスを人生に受け入れるとき、神の愛を受け取ることができる。まだそうしていない方は、rerj56@gmail.com (英語)または rerj56.japanese@gmail.com (日本語)までご連絡ください。喜んでご説明いたします。
