投稿日:2024年12月12日
なぜ神は沈黙するのか?
この疑問は、信仰者なら誰もが一度は抱くことだろう。その答えはなんであろうか?
この問いに答える方法はたくさんあるかもしれないが、クリスチャンにとっての方法は一つしかない。天の父に立ち返り、あなたが直面している闇について問いかけてみることだ。そうすれば神は、天の父としてあなたに応答してくれるだろう。
主がご存知ないこと、そしてあなたのためにならないことは、何事も決してあなたの人生に入り込むことは許されてないので安心してほしい。
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)
困難に直面したとき、私たちが最初にする反応は、「どうして私が?」「いったいいつまで続くのだろうか?」という問いかけである。詩篇13:1ー2において、ダビデ王は同じ問いを投げかけている。「主よ、いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで、御顔を私からお隠しになるのですか。いつまで、私は自分のたましいのうちで、思い悩まなければならないのでしょう。私の心には、一日中悲しみがあります。いつまで敵が私の上におごり高ぶるのですか。」
第1節では著者が、自分を助けることのできるお方である神に自分の願いを直接伝えていることに注目してほしい。天の父だけが、私たちに正しい方向を示すことが可能である。何か問題があったとき、あなたは誰に相談するだろうか?
第1節、2節でダビデは「いつまで」という表現を4回も用いて、神に対する焦りを露わにしている。
最初の「いつまでですか。あなたは私をお忘れになるのですか」には答えが必要である。
「しかし、シオンは行った。『主は私を見捨てた。主は私を忘れた』と。『女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ私たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」(イザヤ書49:14‐16)
この質問に対する答えは簡単である。天の父はあなたを忘れたことはないし、これからも決して忘れることはないということだ。
信仰者として、人生の中でこのような多くの疑問に直面するが、私たちは詩編の作者のように行動し、口にすべきである。「私はあなたの恵みに依り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。」(詩篇13:5‐6)
どんな状況にあっても、私たちは主に信頼し、喜び、歌おう!