何世紀にもわたって、あらゆる国籍と文化を持つ人々に問われてきた二つの質問がある:
1)神は存在するのか?
2)神を知ることはできるのか?
聖書は、「いまだかつて神を見た者はいない。」(ヨハネ1:18)、「神は霊である」(ヨハネ4:24)と教えている。もし誰も神を見たことがなく、神が霊であるなら、私たちはどうやって神の存在を知り、神を知ることができるのだろうか?
「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ話を伝え、夜は夜へ知識を示す。話しもせず、語りもせず、その声も聞こえない。しかし、その光芒は全地に、そのことばは世界の果てまで届いた。神は天に、太陽のために幕屋を設けられた。」(詩篇19:1-4)。
私たちを取り巻く世界は、日々私たちに神が存在することを教えてくれている。
高価なスイス製の時計を見て、その時計に製作者がいることを否定する人はいないだろう。むしろ、誰かがどこかでその時計を設計し組み立てたことに同意することと思う。
また聖書にはこう書かれている 「御子(イエス)は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、、、、、、、、、、、、万物も御子によって造られ、御子のため造られました。」(コロサイ1:15,16)
神が存在すること、神を知ることができることを、私たちはどうやって知ることができるのだろうか?
1. 被造物がそれを証明している
2. 神は、イエスという人となられた
しかし、私たちは信仰によってのみ、神の存在を知り、神を知ることができる。
「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです」 (ヘブル11:6 )
信仰によって、神とその御子イエス・キリストに信頼を置くとき、その信仰は私たちの心の中で確かなものとなり、神がおられること、神は私たちを愛しておられること、そして私たちが神を知ることができることに疑いを持つことはなくなる。
今日、信仰によって神を求めるあなたに、神の祝福がありますように!