よく言われる言葉に「人生で確実なものは二つだけ。それは死と税金だ。」というのがある。しかし、これは半分しか真実ではない。誰もが死を迎えるが、すべての人が税金を払うわけではないからだ。
実際のところ、すべての人が必ず直面する二つのことは死と裁きである。聖書には次のように書かれている。
「、、、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように」(へブル人への手紙 9:27)
まず最初に確かなことは、死は人を選ばないということであり、これは統計的な事実である。死は偉大な共通項だ。これまで生きてきた人間の中で、二人(旧約聖書のエノクとエリヤ)の例外を除き、すべての人が死んでいる。
死は、人の富や知恵、あるいは個人的、政治的、社会的地位などに興味はなく、そのすべてを奪ってしまう。
二つ目に確かなこと、すなわち裁きもまた人を選ぶことはない。聖書は語っている。
「ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。」(ローマ人への手紙14:12)
それでは私たちは、死と裁きに対して、どのように備えるべきだろうか?
死に備える方法として、私は次のことを提案したい。(1) 遺言書を作成する、(2) 借金を返済し、家族に負担をかけないようにする、そして(3) 家族が行わなければならない葬儀の手配を済ませておくこと。
裁きに備える方法としては、次のことを提案したい。すなわち、それを完全に避けるということだ。聖書はこのことについて、非常に明確に述べている。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」(ヨハネの福音書5:24)
私たちがイエスを(私たちの)罪のためのいけにえとして信じるならば、神の裁きと非難に直面することは決してない。
もしあなたがまだイエスを信じていないなら、今すぐ信じて、あなたを救ってくださったことに感謝しよう。
もしあなたが神の愛についての記述を初めて読み、どうすればよいかわからないなら、次の簡単な祈りを唱えることをお勧めしたい。「神様、私はあなたを知りません。でも知りたいのです。どうか私を助けてくれる人を送ってください。イエスの御名によってお願いします。」