私の好きな詩篇の一つに詩篇103篇がある。詩編全体は、神がその子どもたちに与えた多くの祝福について解説してくれている。詩編103篇にある多くの節の中から、今朝私は特に12節に感銘を受けた。
「東が西から遠くはなれているように、主は、私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。」(詩篇103:12)
私からあなたへの質問は、「東と西はどれくらい離れているか?」というものだ。
何年も前に、私は引退したパイロットからある違いについて説明を聞いたことがある。
彼はまず南北と東西の違いについて説明し始めた。彼は、非常に大きな違いが一つあることを話してくれた。あなたがダラスから北に向かって飛行すると北極点に到達するが、北極点上空を飛行をし続けると、今度は南に向かうことになる。さらに南下を続けると南極点に到達し、南極点を越えて進んでいくと、今度はダラスに向かって北上することになる。
対照的に、もし私がコンパスを東に設定すれば、私は東に進むことになる。そしてコンパスを変えない限り、私は東に進み続けることになる。
私のコンパスが東に設定されている限り、私は決して西に行くことはないのだ。
聖書には「東が西から遠くはなれているように、主は、私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。」と書かれている。
これは単なる意味論の問題なのだろうか?それとも北と南、東と西には違いがあるのだろうか?神の摂理と適用においては、答えは「YES」である。
北から南は循環であり、東から西は直線である。循環というのは、進路を変えなければ過去が繰り返されるという意味であり、直線というのは、過去は私の後ろにあり、未来は私の前にあるという意味である。
人は信仰によってイエスを個人的な救い主として受け入れると、その人は神の家族に生まれ、それを変えることは誰にもできない。一直線の道が始まり、それが永遠に続いていく。新しいクリスチャンの人生が始まるのである。聖書は、イエスへの信仰によって神の家族に入った人は、決して神の家族から引き離されることはないと明確に教えている。神のご計画の中に「回れ右」は決してないのである。
聖書には、この結論を裏付ける多くの節がある。そのうちの二つを紹介しよう。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」(ヨハネの福音書5:24)
「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りません。わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。わたしと父とは一つです。」(ヨハネの福音書10:27‐30)
私たちが天の父とともに未来に向かって歩み続けるとき、私たちは罪から解放されているのだろうか?答えはもちろん「NO」だ。私たちは、罪に対する永遠の裁きからは解放されているが、罪による肉体的な結果からは解放されてはいない。これまでに生きた人の中で、完全に罪から解放されていたのはただお一人、私たちの尊いイエスだけである。私たちが罪を犯してしまう時、そして実際必ず犯してしまうのだが、私たちはありのままに神に罪を犯したことを告白することだ。
「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一1:9)
「自分の背きを隠す者は成功しない。告白して捨てる者はあわれみを受ける。」(箴言28:13)
では、どのくらい遠いのだろうか?東から西までの距離と同じくらい遠いのだ。
あなたへの質問はいたって簡単だ。あなたはどの方向へ行くのだろうか?あなたの答えによって、あなたが永遠に過ごす場所が決定する。