あなたは文法上どの時制でイエスのために生きているだろうか?過去、現在、未来?またはすべての時制の中で生きているだろうか?
すべての人に、どの時制でクリスチャンとして生きていくのかを決める機会が与えられている。そしてこの質問に対するあなたの答えから、あなたのイエスとの歩みを理解することができる。
過去形で生きているのならば、過去の思考、行動、失敗、成功、決断に支配されてしまっているが、現在進行中の活動においては成果が上がっていない。ルカの福音書13章のいちじくの木のたとえは、この「気持ちはあるが実を結ばない」という問題を扱っている。
現在形で生きているのならば、あなたは今この瞬間ここで働き、生きている。過去と未来は、良い意味でも悪い意味でもあなたに影響を与えるが、あなたを支配することはない。イエスは、あなたに過去を忘れること、しかし過去から学ぶこと、そして未来のためにイエスに信頼し、そして今日イエスに従うことを望んでおられる。
もしあなたが未来形で生きているのならば、主のために今何をすべきか分かっているのに、それを後回しにする方法を見つけているということだ。あなたが待っているその「後」はまず来ることはないだろう。
聖書は、過去、現在、未来の問題ではなく、3つの時制を同時に生きることの必要性と有益性を教えている。これは、ヨハネの福音書15章で説明されているように、私たちがキリストにとどまるときに実現される。
私たちは過去から学び、現在において遂行し、神の助けを借りて未来を計画しなければならない。
そうすれば、ヨハネの福音書15章のぶどうの木の実りを味わい、さらにもっと多くの実を結ぶことができるだろう。