不可知論者とは、定義上、神は未知であり知ることのできない存在であると信じる人々のことである。彼らは悲劇的な間違いを犯している。なぜならば神はご自身を明らかにされ、知ることが可能だからだ。
最初に、神は創造物を通してご自身を明らかにされた。
「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ話を伝え、夜は夜へ知識を示す。話もせず、語りもせず、その声も聞こえない。しかし、その光芒は全地に、そのことばは世界の果てまで届いた。」(詩篇19:1‐4)
新約聖書には次のように書かれている。「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物をとして知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」(ローマ人への手紙1:20)
第二に、神はイエスを通してご自身を知ることができるようにされた。聖書はこう述べている。「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、、、、」(へブル人への手紙1:3)
イエスは言われた。「わたしを見た人は、父を見たのです。」(ヨハネの福音書14:9後半部分)
最後に、神を知るためにはイエスを知らなければならない。なぜなら、イエスご自身がこう言われたからである。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」(ヨハネの福音書14:6‐7)
不可知論者は間違っている。神はご自身を明らかにされてこられたし、私たちは信仰によって、神の書である聖書を学ぶことで神を知ることができるのだから。
真理を探し求めるときには、あなたを助けてくれる教会や聖書研究グループを見つけることをお勧めしたい。