人生における確かなことと不確かなこと(2025年7月27日投稿分)

聖書は、人生の短さと不確かさについて非常に明確に述べている。

「人、その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。風がそこを過ぎると、それはもはやない。その場所さえも、それを知らない。」(詩篇1031516

「明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないのだから。」(箴言271

2010年6月14日の朝、私は人生がいかに不確かであるかを学んだ。

月曜日の朝の聖書勉強会の準備を整えながら、生徒たちが到着する前に自分の視線がうまく定まらないことに気が付いた。複視だった。すぐにテキサス州アービング市にあるベイラー医療センターの救急外来へ向かい、その後6日間、脳の血栓による脳卒中の回復のため入院することになった。後遺症は残らず、完全に回復することができた。

一夜にして、私は命と健康がいかに脆いものであるか、そして人間はどれほどそれらのことを当たり前のことと思っているかを知った。

この警鐘とも言えるべきことは、遅かれ早かれ誰にでも訪れるものであり、その日が来た時に私たちはそれに備えていなければならない。しかし、人生における多くの出来事を私たちがコントロールできない以上、すべてを司っておられるお方、すなわち私たちの主権者である神を信頼しなければならない。

その日のために備えるべき神の約束は数多くある。その一つはエレミヤ書29章11節にある。「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っているー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」神は、私たち信者が、状況の良し悪しに関わらず、平和と未来と希望を持つことを望んでおられるのだ。

また「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)ともある。すべてのこととは、良いことも、悪いことも、不確かなものも含めてありとあらゆるものを意味する。

これが私が信じる神であり、私が仕える神である。私の人生に不確かさはなく、あなたがイエスに従う者ならば、あなたの人生にも不確かさがあってはならない。

もしあなたがイエス・キリストの信者ではなく、この確信を持っていないなら、私かクリスチャンの友人や牧師を探して、今日この問題を解決されることをお勧めしたい。

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