ほとんどの人は誰かを追いかけて、その人のようになりたいと思っている。
私たち一人ひとりが違うからこそ、その人も異なる。その人はたいてい、偉大な功績で認められた人だ。男性であれ女性であれ、心から尊敬し、心から憧れる人が一人はいるものだ。私にもそんな人が二人思い浮かぶ。
私を心から愛してくれた最初の人は、65年間連れ添った最愛の妻であり、今は主のもとにいる。彼女は私を愛し、大切にしてくれた。その愛に勝るものは他にない。
私を心から愛してくれた二人目は、私が若い頃、アメリカ海軍に所属し日本の佐世保にいた頃に現れた。彼は私が生まれる前から私を愛してくれていた。聖書に記されているナザレのイエスこそがその方だ。
主は私の人生を変えてくださった。私は生きている限り、主を賛美し続ける。息を引き取る瞬間まで、私は主を賛美の歌で讃えるだろう。
私が主を愛し賛美する理由は、海岸を覆う砂粒の数ほどある。そして冬の日に舞い散る雪片の数ほど膨大で、実に多様性に富んでいる。
以下に、私が主を愛する10の理由を挙げたい。これらは詩篇146篇に記された詩篇作者の言葉だ。また、ぜひ詩篇全篇を読んでみることもお勧めしたい。
1.ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く人は幸いである。(5節)
2, 主は、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方。(6節)
3. 虐げられている者のためにさばきを行い、飢えている者にパンを与える方。(7節前半)
4. 主は捕らわれ人を解放される。(7節後半)
5. 主は目の見えない者たちの目を開ける。(8節前半)
6. 主はかかんでいる者たちを起こされる。(8節中半)
7. 主は正しい者たちを愛される。(8節後半)
8. 主は寄留者を守られる。(9節前半)
9. 主はみなしごとやもめを支えられる。(9節後半)
10.主はとこしえに統べ治められる。(10節)
そして最後に、私が主を愛するのは、まず最初に主が私を愛し、私のためにご自身を捧げてくださったからだ。(ヨハネの手紙第一 4:19)
このブログを読み、あなたの人生が変わったのなら、今ここで立ち止まり、「主よ、感謝します」と祈ろう。
読者の皆さん、もしこれらがすべてが初めてのことで、もっと知りたいと思うのならば、次の簡単な祈りを捧げてほしい。「イエス様、私は人生にこれらのことを望みます。どうか私があなたを理解するのを助け、あなたを知る方法を教えてくれる人へと導いてください。」