聖書を読み、理解するには二つの方法がある。(1) 聖書を字義通りに読む(理解する)ことと、(2) 聖書が自分に何を語っているか(適用する)ということだ(テモテへの手紙第二 4:17)。聖書は、特定の出来事や人物に関する歴史的記録だが、しかし、それは読む人すべてに導きを与えるために記されたものである。詩篇118篇から以下の節を読んで、空欄(_______)にあなたの名前を書き込んでみてほしい。
第1節「( )主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」
第2節「さあ( )よ、言え。『主の恵みはとこしえまで。』と」
第3節「さあ( )の家よ、言え。『主の恵みはとこしえまで。』と」
第4節「さあ主を恐れる( )よ、言え。『主の恵みはとこしえまで。』と」
第5節「苦しみのうちから、( )は主を呼び求めた。主は答えて、( )を広やかな地へ導かれた。」
第6節「主は( )の味方。( )は恐れない。人は、( )に何ができよう。」
ここで聖書の中で最も有名な聖句であるヨハネの福音書3章16節と17節を読んでみよう。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに( )を愛された。それは御子を信じる( )が、滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を( )に遣わされたのは、( )をさばくためではなく、御子によって( )が救われるためである。」
聖書を読むときは、常にそれが神からあなた個人へのメッセージであることを理解しながら読んでほしい。
読者の皆さん、もしあなたが神がどのようなお方であるかを理解し、個人的に神を知りたいと願うなら、次の聖句に従ってこの祈りを捧げてほしい。「、、もし( )の口でイエスを主と告白し、( )の心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、( )は救われるからです。( )は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ人への手紙10:9‐10)
今こそ、あなたが神のために生きることができるように手助けしてくれる人に、あなたの人生が導びかれるように祈ろう。
