人は神を知ることができるのか?(2025年7月12日投稿分)

不可知論者とは、定義上、神は未知であり知ることのできない存在であると信じる人々のことである。彼らは悲劇的な間違いを犯している。なぜならば神はご自身を明らかにされ、知ることが可能だからだ。

最初に、神は創造物を通してご自身を明らかにされた。

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ話を伝え、夜は夜へ知識を示す。話もせず、語りもせず、その声も聞こえない。しかし、その光芒は全地に、そのことばは世界の果てまで届いた。」(詩篇1914

新約聖書には次のように書かれている。「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物をとして知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」(ローマ人への手紙120

第二に、神はイエスを通してご自身を知ることができるようにされた。聖書はこう述べている。「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、、、、」(へブル人への手紙13

イエスは言われた。「わたしを見た人は、父を見たのです。」(ヨハネの福音書149後半部分)

最後に、神を知るためにはイエスを知らなければならない。なぜなら、イエスご自身がこう言われたからである。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」(ヨハネの福音書1467

不可知論者は間違っている。神はご自身を明らかにされてこられたし、私たちは信仰によって、神の書である聖書を学ぶことで神を知ることができるのだから。

真理を探し求めるときには、あなたを助けてくれる教会や聖書研究グループを見つけることをお勧めしたい。

悲劇が起こるとき(そしてそれは避けて通れない)(2025年7月12日投稿分)

2001年9月11日、テロリストの一団がアメリカと自由世界全体に壊滅的な打撃を与えた。私が「自由世界全体」と述べたのは、ニューヨーク市のツインタワーの崩壊によって、世界80カ国から来た男女が命を落としたからだ。

聖書にはこう書かれている。「人の霊は病苦も忍ぶ。しかし、打ちひしがれた霊は、だれが担えるだろう。」(箴言1814

テロリストはアメリカ社会を攻撃したが、アメリカの精神を打ち砕くことはできなかった。アメリカと自由世界全体の精神は、9月11日直後の数日間において見事に示されることとなった。

この大惨事の後、世界中の人々と国々は慰めと力を求めて唯一の信頼できる源ー―に頼ったのだった。

主は言われた。「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出す。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げる。彼がわたしを呼び求めれば、わたしは彼に答える。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い、彼に誉れを与える。」(詩篇911415ここで用いられている行動を表す言葉、「助け出す」「高く上げる」「答える」「誉れを与える」に注目しよう。

しかし、9月11日の攻撃で亡くなったクリスチャンたちはどうなったのだろうか?彼らが神を必要としていた時、神はどこにいたのだろうか?

聖書はこの点についても明確に述べている。神は彼らと共におられたのだ。

聖書には「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり」(イザヤ書432とある。キーワードは「through(過ぎる)」と「with(ともに)」であり、これは、イエスを信じるすべての信者に対する神の約束である。

そしてまた「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(申命記316とある。主はあなたと共におられ、あなたがこれからどんな困難に直面しようとも、そこにいてあなたを待っておられる。

人生で悲劇に直面した時、(そしてそれは避けて通れない)、創造主である神に祈り求めてほしい。神はあなたの声を聞き、必ず応えてくださる。

今日、悲劇に直面できるかどうか自信がなければ、クリスチャンの友人や牧師に相談してほしい。

選ばれた者、聖別された者、任命された者(2025年7月11日投稿分)

「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、、、、、」(ヨハネの福音書1516

この節における「任命された」という単語は、定義上、他の箇所では「聖別された」または「定められた」と翻訳されている。アメリカの一部の州では、結婚式などの特定の儀式を行うためには、任命された人の登録が義務付けられている。

ここでの「選ぶ」という言葉は非常に重要である。イエスを信じる者として、あなたは選ばれ、聖別され、3つのことを行うように任命されている。

(1)「あなたがたが行って」ーこれは、宣教地であれ、隣人であれ、聖書に啓示されているように、祈りと聖霊への従順を通して集中的に活動することを意味する。

(2)「実を結び」―この実を結ぶための第一段階は、ガラテヤ人への手紙522節と23にある。愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制…すべてのクリスチャンはこの実を結ぶべきである。第二段階は、ヨハネの福音書15にある。ここで言及されている実とは、もう一人のクリスチャンのことであり、すなわち、ぶどうの木は主イエス、枝はクリスチャン、そしてそこになる実がもう一人の(新しい)クリスチャンである。

(3)「その実が残るようになるため」―これが最も重要である。「その実」とは、霊的に成長するまでサポートすべき新しいクリスチャンのことだ。生まれたばかりの赤ん坊が愛情深く思いやりのある両親を必要とするように、イエスを信じた新しいクリスチャンは、より成熟したクリスチャンからの愛情深い世話と助けを必要としている。

あなたには霊的な子どもたちがいるだろうか?そしてあなたが教えられたことを、彼らに教えているだろうか?

もし霊的な子どもたちがいないのならば、ひょっとしたらあなたは、従順にぶどうの木である主イエスの中にとどまっていないのかもしれない。

天の父は、信者であるあなたに、御霊の実を証する「ガラテヤ人への手紙 5章」の子どもたちと、霊的な実を結ぶことによってキリストに留まっていることを証しするもう一人の信者である「ヨハネの福音書 15章」の子どもたちを生み出すよう任命されている。

この目的を達成するためにアドバイスが必要な場合は、牧師またはクリスチャンの友人に相談してほしい。

奥深いメッセージのシンプルさ(2025年7月10日投稿分)

その子はイスラエル南部の小さな村で、ごく普通のユダヤ人家庭に生まれ、イエスと名付けられた。彼は成人し、30歳頃になると神について教え始めた。神にしかできない奇跡を起こし、自分は神のもとから来たのであり、間もなく神のもとに帰ると語った。

彼は逮捕され、裁判にかけられ、ローマの兵士たちによって処刑され、墓に埋葬された。3日後に墓を調べたところ、彼は消えていた。彼が語っていた通りであった。

イエスは神の力と権威によって死からよみがえられ、今も生きておられる。死と復活の後、イエスはご自身の復活の証人として多くの人々の前に現れた。

当時は、新聞も電信もラジオもテレビもなく、世界的な通信網もインターネットも存在していなかった。

それでもイエスは弟子たちに次のように言われた。「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイの福音書281920

これは不可能な任務だろうか?確かにそう思える。しかし今日、イエス・キリストのメッセージを信じる人々は世界中の国々に見出すことができる。

そして、イエスに関する次のメッセージは、シンプルだが深い意味を持っている。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙58

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ人への手紙10910

このメッセージは子どもでも理解できるほどシンプルでありながら、信仰によって受け止めなければならないというとても深い意味を持っている。さらに詳しい情報を希望される場合は、私か牧師、またはクリスチャンの友人に連絡してほしい。

Your day is coming: The day of testing

” The warriors of Ephraim though fully armed, turned their backs and fled when the day of battle came. “( Psalm 78: 9 (NLT)

The lesson taught here is very clear: “Success in training is tested in battle.”

What you learn in the classroom of life will be tested in the future.

Why did the warriors of Ephraim fail, when the day of battle came? The next verse may give understanding:

They did not keep God’s covenant, and they refused to live by His law” (Psalm 78:10)

And also, ” They forgot what he had done…..” (Psalm 78:11).

They failed the test because, (1) They were not obedient to revealed truth, and (2) they did not remember his kindnesses of the past.

Whatever test you are facing today , whenever “ your day of battle” may be, remember these two things:

  1. Obey whatever truth God has revealed to you, and
  2. Rehearse in your mind the good things you have experienced from Him in the past.

If your ” day of battle” has not come, and rest assured it will, and when it does come, obey and remember, we serve a loving heavenly Father who will never fail you.

This warrior is ready, willing, and able to go and to be with his loved one.

My question to you, are you ready, willing and able to go?

Dear reader Are you losing in the warfare of life and have no one to come alongside and be with you? Please pray this simple prayer: ” God, I ask you to bring someone into my life to help me and I ask this in Jesus’s name.

If you want more information please contact me yet RERJ 56@ Gmail.com

GOD’S WILL: GRACE, MERCY, PEACE

To Timothy, my true son in the faith: grace mercy and peace from God the Father and Christ Jesus our Lord” (1Timothy 1:2).

This verse reveals what God wants for every person: grace, mercy and peace.

GRACE is to receive something we do not deserve. We do not deserve forgiveness of sin and eternal life. Yet the Bible says, ” In whom we have redemption through His blood, the forgiveness of sins, in accordance with the riches of His grace” (Ephesians 1: 7).And again, the Bible says:” For it is by grace you have been saved through faith…..” (Ephesians 2:8).God gives us what we do “not” deserve.

MERCY, however, is “not” to receive what we “do deserve“. We deserve death: ” Therefore just as sin entered the world through one man, and death through sin, and in that way, death came to all men, because all sinned…..”(Romans 5:12). ” For the wages of sin is death…” (Romans 6:23) Only by God’s mercy may we escape eternal death.

PEACE, then, is the result of accepting God’s gift of grace and mercy through faith in Jesus Christ. ” Therefore, since we have been justified through faith, we have peace with God through our Lord Jesus Christ” (Romans 5:1).

If you had been justified through personal faith in Jesus, thank God today for His grace mercy and peace “with God.”

If you have put your trust in Jesus as your Savior and are seeking peace in your heart and for meaning in life, pray to Jesus today and claim this peace “of God” as you live in obedience to Him.

If you have not put your faith in Jesus and need assistance, please contact a Christian friend or the author and ask for help.

Dear reader, if you do not understand this blog, but want this peace of God, simply pray this prayer: ” I do not understand please send someone to help me.”

should you like more information please contact me at RERJ 56@ Gmail.com

クリスチャンは苦しみに遭うか?答えはイエスです。(2025年7月9日投稿分)

「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」(イザヤ書432

ここでの神の約束は非常に明確である。神は決して子らを離れず、見捨てない、ということだ。

水、川、火は、聖書においては途方もない苦しみを象徴するときによく使われる。

クリスチャンもノンクリスチャンと同様に苦しみに遭う。しかし、クリスチャンには「わたしはあなたとともにいる。苦難はあなた方を押し流さず。あなた方は燃えつかない」という神からの約束がある。

ここでの神の約束は、苦しみ「からの」解放ではなく、苦しみ「の中で」慰めを与え、共にいてくださるということだ。

すべての人はこの世にあって苦しみを受けるが、しかし、クリスチャンは苦しみの中にあっても、約束してくださった神の臨在を得ることができる。

神は言われた。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(へブル人への手紙135

人生における水や川や火がやってくるとき(実際それらは必ずやってくるのだが)、あなたに慰めと勇気を与えてくださるという神の約束に依り頼んでみよう。

もしあなたがイエスを通して神に信仰と信頼を置いたことがないのならば、今日そうしてみよう。そして何世紀も前に預言者イザヤを通してなされた神の約束を手に入れてほしい。

クリスチャンは苦しみに遭うか?答えはイエスです!

もし質問があれば、クリスチャンの友人や牧師に相談するか、または私に返信してほしい。

宗教:人は神を求める (2025年7月8日投稿分)

“人間が神を求めること”というのは、「宗教 」についての良い定義だと思う。多くの点で、これはキリスト教にも当てはまる。

聖書にはこう書かれている:

「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見出す。」(箴言817

「あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つけるだろう。」(エレミヤ書2913

「それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。」(使徒の働き1727

聖書は、人々が偶像から離れ、生ける神を求めるべきだと教えている。人が生ける神を求め、その神に立ち返るとき、神はそこにおられ、その人を迎え入れようと手を差し伸べてくださっていることが分かるだろう。

「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(ルカの福音書1910

「しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。」(ガラテヤ人への手紙44

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(ヨハネの福音書112

人は、心の虚しさを満たすため、苦しみの時に力を得るため、そして絶望的な状況に希望を与えるため、神を求めることがよくある。

生ける神は、イエス・キリストを通して、これらすべてのことを満たし、さらにそれ以上のことを行なってくださる。(1) 心に平安を与え、(2) 力と勇気を与え、(3) 希望のないところに希望を与えてくださる。

神はあなたの天の父となることを望んでおられるが、それはあなたが信仰に立ち返り、祈りによって神をあなたの人生に迎え入れることによってのみ可能となる。

神は約束を守るお方であり、その方が「神を求める者は神を見つけるだろう」と約束されている。

何かお手伝いできることがあれば、連絡してほしい。神様はあなたを心から愛しておられます!

霊的世界と物質的世界(2025年7月6日投稿分)

神の世界に対する計画は、霊的な計画と物質的な計画の二つから成ることが、聖書には明らかにされている。

イエスは、イエスと共にいる12人を選び、神の御業を行うために彼らを訓練された。「そして、(1)神の国の福音を宣べ伝え、(2)病人を治すために、、、彼らを遣わされた。」(ルカの福音書9:2

神の御国を宣べ伝えることは、人間の霊的な必要を満たすことであり、病人を癒すことは、人間の物質的な必要を満たすことである。

わたしたちは皆、霊的な必要も物質的な必要も持っているが、天の御父はその両方を満たしたいと願っておられる。

イエスがこの世に来られ、十字架に架かり、私たちの罪の代価を支払ってくださった時、神は私たちの霊的な必要を満たしてくださった。「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネによる福音書 3:17

イエスはまた、私たちの物質的な必要を満たしたいと願っている。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ人への手紙4:6

まず、イエスを信頼し神に信仰を置き、次に祈りによってあなたの必要を神に伝えてみてほしい。

恵み深き天の父はあなたを愛し、あなたの霊的な必要を満たしたいと願っている。そして、愛に満ちた天の父はあなたの物質的な必要も満たしたいと願っておられるのだ。

あなたが直面している問題は霊的なものだろうか?それとも物質的なものだろうか?それともその両方?

経済的困難、孤独、仕事を必要としている、健康状態がすぐれない、子どもが反抗的、怒り、死への恐怖、あるいは制御できない罪、、、それが何であっても、あなたは神に助けを求めることができる。そして今、神に求めるべきなのだ。

もし助けが必要であれば、是非私かクリスチャンの友人に連絡し相談してください。

あなたは愛されていますか?もちろんです!(2025年7月6日投稿分)

自分はまったく愛されていない、自分には何の価値もないと感じたことはないだろうか?

イエスは、地上のすべての人は神に愛されていて、尊い存在であることを教えられた。

イエスは、100匹の羊を飼っていた羊飼いのもとから、1匹の羊が群れから外れて迷子になったことを話された。羊飼いは99匹の羊を残し、迷子になった1匹の羊を探しに行った。羊飼いはその羊を見つけるまで探し続け、安全な所まで連れ帰った(ルカの福音書15:4-7)。

またイエスは、貴重な銀貨を10枚持っていた女性の話をされた。そのうちの1枚が行方不明になったため、彼女はランタンを灯し、床を掃き、そのコインを見つけるまで注意深く探し続けた。(ルカの福音書15:8-10)。

それからイエスは、二人の息子を持つ男の話をされた。息子の一人が父親のもとへ行き、父の財産の分け前を要求した。父親は全財産の半分を息子に与えた。息子はそのお金を持って別の町へ行き、放蕩三昧の日々を送った。ところが、お金が尽きたころに、その土地に大飢饉が起こり、彼には食べるものが何も残っていなかった。飢えに苦しむ息子は、自分の行いが間違っていたことを告白し、息子としてではなく、雇い人として仕事をさせて欲しいと頼むために父親のもとへ帰った。息子が家に帰る途中、父親は息子の姿を見つけ、息子に駆け寄り、キスをして、雇い人としてではなく、息子として迎え入れた。(ルカによる福音書 15:11-24

聖書は、私たちは皆、神から遠く離れ、失われていると教えている。イエスは、失われた者たちを探し求めてこの世に来られた。そして「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのである」(ルカ1910と言われた。

上の三つの物語に共通するのは、持ち主が失った所有物や責任あるもの、つまり羊、銀貨、息子に抱いていた愛である。もしあなたが羊や銀貨のように行方不明になったり、放蕩息子のように生きる道に迷ってしまったとしても、神はあなたを愛し、探し求めておられる。

今日、神は御霊と真理によって神を礼拝する人々を探しておられる。もしあなたが放蕩息子のようであるなら、愛する天の父のもとに戻ることを選ばなければならない。

もしあなたが羊であろうと、銀貨であろうと、神はあなたを探しておられる。神の愛を受け入れ、あなたの人生に神が来てくださるように願うなら、あなたの心と来るべき天国には大きな喜びが訪れることだろう。

あなたは愛されていますか?もちろんです!