霊的な7月4日を過ごしていますか?(2025年6月25日投稿分)

毎年7月、アメリカ人は自由、解放、そして独立を祝う。アメリカにおける自由の誕生は、1776年7月4日、大陸会議の代議委員たちが独立宣言に署名したことによる。この宣言は、イギリス国王ジョージ3世に直接宛てられたものだった。

聖書は、この世界は、この世のすべてを支配していると自負する悪魔の支配下にあると教えている(マタイ4:9)。そして、この世界はあなたや私のような人間でできている。

サタンまたは悪魔とも呼ばれる悪の支配者は「、、、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしているのです。」(コリント人への手紙第二44

イエスは「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし」(ルカの福音書418)と語られた。

イエスは、私たちを暗闇の力から解放するためにこの世に来られた。イエスは言われた。「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」(ヨハネの福音書1010

私たちはイエス・キリストを通して神を信じることにより、暗闇からの独立を宣言することができる。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第二517

悪に服従する人生には「、、、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、、、ねたみ、、、」(ガラテヤ人への手紙5:1921といった特徴がある。

神によって与えられた自由には「、、、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、自制、、、、」(ガラテヤ人への手紙52223)といった特徴がある。

もしあなたが悪魔からの霊的な独立宣言したことがないなら、今日、創造主である神に信頼を置き、牧師やキリスト教徒の友人にあなたがしたことを伝え、新しい人生への導きを求めてほしい。

もしあなたがイエスを救い主として信じているなら、暗闇からの霊的独立を神に感謝しよう。

暗闇の中で生きている人を知っているなら、あなたが謳歌している光と自由をその人と分かち合う機会が与えられるように祈ろう。

THE WATER THAT SATISFIES THE SOUL

We cannot survive long without water. Water is a transparent, odorless, tasteless liquid and it is absolutely necessary for existence. Without water there can be no life on earth.

We live in a world of water, but about 97% of it is in the oceans and is too salty for drinking or to be used in farming. Only about 3% of the world’s water is fresh (unsalty).

A man can live without food for about a month, but he can live without water for only about one week.

However, there is a thirst that has no relationship to water (H2O). This is a thirst of the soul. This soul thirst is recognized as a longing for peace of heart and mind, freedom from fear, for meaning in life, and forgiveness of sin. The Bible teaches that the God who created the world and all the water in it also provides the water for the thirsty soul.

The Bible says, ” Come, all you who are thirsty, come to the water; and you who have no money, come, buy and eat.” (Isaiah 55:1)

This water is for all who are “spiritually” thirsty, and it is free. It cannot be purchased but only received as a gift.

Jesus said,” People soon become thirsty again after drinking this water (H2O) but the water I give them takes away thirst altogether. It becomes a perpetual spring within them, giving them eternal life.” (John4:13, 14), and: “…….. those who believe in me shall never thirst” (John 6: 35).

You may have everything you need that should to make you happy, but If you are not happy and are discouraged with life, you may be spiritually thirsty. Let me encourage you to accept the invitation to “come” to God’s water well, and put your trust in Him through Jesus for the satisfaction of your thirsty soul.

I make it a practice to go to this perpetual spring of water each morning before breakfast and also at any time during the day that I sense a spiritual thirst. I encourage you to do the same.

If your secret, personal life is like a barren waste-land without this water, contact me or go to a Christian friend or to your pastor and ask for help.

どうやって成功を測るか?(2025年6月18日投稿分)

人はどうやって成功を測ることができるのだろうか?どうやって自分が成功したかどうかを知るのだろうか?

成功を測る方法は様々だ。多くの人の目には、大金持ちが成功者と映る。他の人たちにとっては、その職業でトップに達した人であろうし、同業者から尊敬されることもまた別の尺度である。スポーツ選手にとっては、優勝することであり、学生にとっては奨学金を獲得することだろう。

これは私たちが成功を測る方法だが、神は別の尺度を持っておられる

おそらく歴史上最も賢い人であるソロモン王はこう言った。「、、、競争は足の速い人のものではなく、戦いは勇士のものではない。パンは知恵のある人のものではなく、富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではない。、、、、 」(伝道者の書911

預言者エレミヤは次のように語った。「―主はこう言われるー知恵ある者は自分の知恵を誇るな。力ある者は自分の力を誇るな。富ある者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。私は主であり、地に恵みと公正と正義を行う者であるからだ。まことに、わたしはこれらのことを喜ぶ。―主の言葉。」(エレミヤ書92324

確かに、私たちは教育を受け、健康に留意し、お金を稼ぐ必要がある。しかし、これらは一時的なものであり、ひょっとしたら明日には消えてしまうかもしれない。私たちはそれらを永遠に持ち続けることはできないのである。

真に成功した人とは、創造主を知り、その方に仕える人のことである。したがって、貧しい人も金持ちも、無学な人も教育を受けた人も、弱い人も強い人も、誰もが人生に充実感を見出すことが可能となる。

あらゆる努力において、神への礼拝と奉仕こそが神の成功の尺度であることを見逃さないでほしい。そうすれば、いつの日か「よくやった、忠実で良い僕よ」という言葉を聞くことになるだろう。

イエスに従う歩みの中で、あなたが経験した成功についてぜひ聞かせてほしい。

あなたの神殿は神を讃えていますか?(2025年6月13日投稿分)

聖書には、クリスチャンであるあなたのからだはあなたの内にある聖霊の神殿であり、そのように維持されるべきである、と書かれている。

「あなたがたは知らないのですか?あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」(コリント人への手紙第一61920

あなたは自分のからだを通して、どのように神を讃えているだろうか?イエスのために実り豊かで有意義な人生を送りたいと願うなら、男性であれ女性であれ、自分の神殿の装いについて考えなければならない。

服装はあなた自身を反映する。控えめな服装になることもあれば、挑発的な服装になることもあるだろう。服装は、あなたが付きあっている仲間を反映し、あなたが考えていることを反映する。またあなたの社会生活を反映するかもしれないし、あなたが自分自身についてどう考えているかを反映することもある。

そしてあなたの服装は、人生の目的を反映することもある。それは、世間を喜ばせるためか、それとも神を喜ばせるためかということだ。もし世間を喜ばせることが人生の目的なら、世間を喜ばせる服装をしなければならないし、もし神を喜ばせることが目的なら、神を喜ばせる服装をしなければならない。

聖書は良い妻になるという問題について述べているが、その延長線上には、神を喜ばせようとする男性についても同様のことが言える。

「あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。」(ペテロの手紙第一334

今日、人々が福音を信じて救われるために、自分自身の生活習慣や在り方を捨てて柔軟に奉仕する人々もいる(コリント人への手紙第一91923)。これは素晴らしいことであり、私たちはそれを批判すべきではない。神の子として、以下のように、私たちは皆選択する権利を持っているのだから。

「ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。こういうわけで、私たちはもう互いにさばき合わないようにしましょう。いや、むしろ、兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを置くことはしないと決心しなさい。」(ローマ人への手紙141213

神の栄光のために、今日もあなたの神殿であるあなたのからだを守り、装い、神の恵みを享受してほしい。質問があれば、私または牧師まで連絡してください。

神との平和と神の平安(2025年6月11日投稿分)

神との平和神の平安。その違いはあるのか、あるとすれば何が違うのか

神との平和とは、イエスへの信仰によって、私たちが神と正しい関係になったことを意味する。私たちは神との友好関係を回復したのだ。神はもはや私たちの罪のゆえにお怒りになることはない。

「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ人への手紙51

このような神との正しい関係は、私たちがイエスに信頼を置き、神の家族に生まれ変わったときにやってくる。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネの福音書11213

信仰による再生は、神との平和を与えてくれる。

神の平安は、神との平和を築いた人にのみ与えられる。神の平安は、私たちが不安や罪からイエスに立ち返り、天の御父との交わりを取り戻すときに与えられるものだ。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたがの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ人への手紙467

人は、イエス・キリストを信じる信仰によって神との平和が確立されたことによってのみ、神の平安を経験することができる。

その順序は次のとおりである。

1)私たちはイエスを信じる信仰によって神との平和を得る。

2)神に喜ばれる人生を送ることによって、神の平安を得る。

私の祈りは、あなたに今、神との平和を持ち、神の平安を日々味わってほしいということだ。

神との平和、神の平安についてもっと知りたい人は、私か牧師に是非連絡してください。

この地上に残していくか?それとも天国へ先送りにするか?(2025年6月5日投稿分)

私の友人は第二次世界大戦中、アメリカ海軍で数年を過ごした。彼は任務を終え、太平洋の島で多くの人たちと共に、帰国の途につくための政府の輸送機を待っていた。

待つこと数日、ついに彼の番が来た。彼はシーバッグ(船乗り用の鞄)を掴み、列に並んだ。彼の搭乗する時間になると、彼のバッグを入れるスペースがないと告げられた。その中には、衣類、お土産、必需品、思い出など、彼の持ち物全てが入っていた。着ている服以外、何もかもが。

しかし彼は決断を下し、シーバッグを捨て、飛行機に飛び乗って故郷へと向かった。これは実話だが、人生にとって重要なことを教えてくれている。

私たちは皆、いつか死んで、この世に自分の持っているものすべてを置いていくことになる。しかし、何も持って帰ることができなかった上記の船員とは異なり、私たちには天国の家へと送り出す機会が与えられている。

イエスは言われた。「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。」(マタイの福音書6:1920

どうやって天に宝を積むのだろうか?時間、富、健康、人間関係、夢など、神があなたに与えてくださったものの一部を神にお返し(先送り)するのだ。そして、与えることに関する聖書の約束を思い出してほしい。

「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえます。あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです。」(ルカの福音書638

ここでの質問はとてもシンプルだ。あなたが死んだら、あなたが持っているものを地上に残していくのか?それともその一部でも神にお返し(先送り)することを選ぶのか?もし神にお返しするのであれば、あなたは天に宝を持つことになる。

その方法についての質問があれば、できる限りお手伝いさせてもらいたいと思う。

BOOKS OR THE BOOK?

In heaven is your name written in the “books” or in the “book”?

Are names of those you love written in the “ books” or in the ” book“?

The Bible speaks of books which one day will be opened before the throne of God.

” And I saw the dead, great and small, standing before the throne and BOOKS were opened” (Revelation 20:12a). ” The dead were judged according to what they had done as recorded in the books “….. each person was judged according to what he had done” (v.13b). Every person has his or her name in the books and in those books, are recorded sin that will prevent entrance into heaven.

All those whose names are written in the books will be lost forever from the presence of God.

However, the Bible also mentions a “book.”

Another book was opened which is the book of life” (Revelation 20:12b).

” If anyone’s name was not found written in the book of life, he was thrown into the lake of fire” (v.15).

How does a person’s name get changed from the books to the book?

When a person chooses to love and serve the God of creation, by faith in Jesus Christ, that person’s name is removed from the books and is written in the book of life. It is permanent and will not be erased.

The Bible says: ” Therefore, there is now no condemnation for those who are in Christ Jesus…….” (Romans 8:1).

My prayer and heart desire is that your name and the names of all those you love are written in the book, the book of life.

If you have a question about which book you are in, please contact the author, a Christian friend or your Pastor and ask for help.

霊的文法のレッスン:時制(2025年5月26日投稿分)

あなたは文法上どの時制でイエスのために生きているだろうか?過去、現在、未来?またはすべての時制の中で生きているだろうか?

すべての人に、どの時制でクリスチャンとして生きていくのかを決める機会が与えられている。そしてこの質問に対するあなたの答えから、あなたのイエスとの歩みを理解することができる。

過去形で生きているのならば、過去の思考、行動、失敗、成功、決断に支配されてしまっているが、現在進行中の活動においては成果が上がっていない。ルカの福音書13章のいちじくの木のたとえは、この「気持ちはあるが実を結ばない」という問題を扱っている。

現在形で生きているのならば、あなたは今この瞬間ここで働き、生きている。過去と未来は、良い意味でも悪い意味でもあなたに影響を与えるが、あなたを支配することはない。イエスは、あなたに過去を忘れること、しかし過去から学ぶこと、そして未来のためにイエスに信頼し、そして今日イエスに従うことを望んでおられる。

もしあなたが未来形で生きているのならば、主のために今何をすべきか分かっているのに、それを後回しにする方法を見つけているということだ。あなたが待っているその「後」はまず来ることはないだろう。

聖書は、過去、現在、未来の問題ではなく、3つの時制を同時に生きることの必要性と有益性を教えている。これは、ヨハネの福音書15で説明されているように、私たちがキリストにとどまるときに実現される。

私たちは過去から学び、現在において遂行し、神の助けを借りて未来を計画しなければならない。

そうすれば、ヨハネの福音書15章のぶどうの木の実りを味わい、さらにもっと多くの実を結ぶことができるだろう。

真の愛の物語(2025年5月18日投稿分)

その男の子は5歳だった。彼は、双子の弟と母親、父親とともに祖父を訪ねていた。双子は祖父ととても親密で良い関係にあり、祖父も彼らを心から愛していた。

家族は帰宅するために、車に荷物を積み込んでいて、祖父は前庭の車のそばに立っていた。男の子の父親が外に出てきて「息子がおじいちゃんと別れて家に帰らなければならないので泣いている」と言った。祖父はなぜ泣いているのか男の子に尋ねると「おじいちゃんと別れたくないんだ。家に帰りたくない。一緒にここにいたいよ。」と答えた。

その子はイエスのことを知っていて、イエスが人々を愛していることも知っていた。そこで祖父は、イエスは天国に住んでいて、彼がとても愛している人たちと一緒にいるためにこの地上に来たのだと説明した。イエスが天に帰ると知ると、人々は泣き出したけれども、イエスは彼らに、もしイエスが天国へ帰らなければ、彼らと一緒になるために戻ってくることはできないと話された。弟子たちは、イエスにまた会えると聞いて、とても喜んだ。

祖父は男の子に言った。「もし家に帰らなければ、私に会いに戻ってくることはできないんだよ。私に会いに戻って来たいかな?」その子は驚いて目を見開き、「うん」と答えた。「それなら、家に帰らなければ。そうすればまたここに戻って来られるんだよ。」彼は考えた末に、「そうか、ここにいたら戻ってこられないんだね。分かった!お家に帰るよ。」と言った。戻って来られることが分かり安心した男の子は、飛び上がり、嬉しそうに家に帰って行った。

祖父はこの会話について考えながら、イエスが天に帰られ自分たちのもとを去られることを知った弟子たちが非常に動揺したので、イエスは、「わたしは去って行くが、去らなければ、戻って来ることはできません」と言って、弟子たちを安心させたことを思い出した。

そしてイエスは彼らに「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」(ヨハネの福音書1413と語った。

孫が祖父に再び会えることを理解したのと同じように、弟子たちは、イエスを失うわけではなく、イエスが戻ってくることを理解したのだった。

確かに、イエスは地上に来られた後に天に戻られたが、また必ず帰ってこられる。これこそが私たちの希望だ。もしあなたがイエスを救い主として信じたのならば、いつの日かイエスが戻って来られ、あなたをご自分の子どもとしてくださる。

もし主イエスを信じていないのであれば、今すぐに信じ、主があなたを神の子の一人としてくださる時を期待して待とう。

共にくびきを負う相手を選ぶ(2025年5月5日投稿分)

気付いているかどうかは分からないが、人は人生のあらゆる面において完璧を求めている。私たちは望むもの全てにおいて完璧を見つけることは不可能だが、できる限り近づこうとする。新車を買うなら、完璧なものを望むし、もし新車を買う余裕がないなら、できるだけ完璧に近いものを求める。結婚生活においては、完璧な伴侶を望むが、見つけることは難しい。しかし勇気を出してほしい。神はあなたの目にあらゆる点でほぼ完璧と思える人をあなたの人生にもたらすことができるのだから。

人生において、ほとんどすべての男女が直面する二つの決断がある。それは、誰と共に「永遠」を過ごすかということ、そして誰と共に「時間」を過ごすかということだ。より正確に言えば、「永遠」と「時間」を共にするクリスチャン仲間を、どのように選ぶのかということだ。

イエスを個人的な救い主として信じると決心した時、「永遠」の問題は解決される。あなたは完璧な相手を見つけたことになる。結婚相手を選んだ時には、「時間」の問題が解決される。

ここで私たちが焦点を当てるのは、結婚と共にくびきを負う真の相手についての指針である。あなたは人生の伴侶に何を求めるだろうか?

質問1:その人はクリスチャンですか?もし答えが「いいえ」なら、もう少し考えた方が良いかもしれない。聖書は明確に述べている「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、何のつながりがあるでしょうか。」(コリント人への手紙二 6:14質問1の答えが「はい」なら、質問2に進もう。

質問2:私と一緒に聖書を学ぶことに興味がありますか?もし答えが「はい」なら、二人で一緒に聖書を読み、みことばを学んでほしい。もし答えが「いいえ」なら、あなたは共にくびきを負う真の相手をもう少し探し求めた方が良いかもしれない。