ナポレオンは正しかった(2025年4月2日投稿分)

ナポレオン・ボナパルトは1804年にフランス皇帝に即位し、西ヨーロッパと中央ヨーロッパの大部分を覆い尽くす帝国を築き上げた。彼の軍隊は次々と敵を倒し、無敵だった。

この戦争の天才は聖書について何を語ったか?彼は言った。「それはただの書物ではなく、生命ある被造物であり,それに敵対するすべてのものを征服する力を持っている。」

聖書にはそれ自体について「、、生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、、、」(へブル人への手紙412と書かれている。

使徒ペテロは言った。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。」(ペテロの手紙第一123

そしてイエスは言われた。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」(マタイの福音書2435

また使徒パウロは聖書について次のように述べている。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(テモテへの手紙第二3:16)

聖書は、イエスについて、イエスが誰であり、何をし、私たちに何を望んでおられるかを教えている。

彼は誰なのか?「この方は本当に神の子であった。」(マタイの福音書2754

何をしたのか?「私たちの罪のために死なれたこと」(コリント人への手紙第一153

私たちに何を望んでいるか?「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

信仰によってイエスをあなたの心そして人生に受け入れると、生きている不滅の神の息吹を受けたみことばが、あなたを新しい人に造り変えてくれる。

神のことばは、イエスへの信仰を選択した人にとって欠かせない糧である。もしあなたがまだこの決断をしていないなら、今日決断されることを心から祈りたい。

聖書はただの書物ではなく、生きていて力強いものだと語ったあのフランス人は正しかった。

キリスト教の祝祭:イースター (2025年3月21日投稿分)

イースターはイエス・キリストの復活を思い起こし、祝う日である。4つの福音書にそれぞれ記録されている(マタイの福音書28:16、マルコの福音書16:120、ルカの福音書24:112、ヨハネの福音書20:129)。聖書研究において、2回以上繰り返される内容は、注意を払う必要があるという原則を覚えておこう。

復活の事実は、コリント人への手紙第一15:34に明記されている。

「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、(1)私たちの罪のために死なれたこと、また、(2)葬られたこと、また、(3)聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと」

復活の意義については、コリント人への手紙第一15:17,20で明確にされている。

  1. そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら(1)あなたがたの信仰は空しく(2)あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。
  2. しかし、今やキリストは、死者の中からよみがえられました。
  3. 眠った者の初穂として。

イースターはまた、信者の復活を記念し祝う日でもある。

1.信者は、キリストにあって生かされた。

「背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」(エペソ人への手紙2:5

2.信者は、キリストにあって新しく造られた。

「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第二5:17

自然そのものは、この世のはじめから、イエス・キリストの復活のために人々に備えをしてきた。神はすべての人の心の中に、新しい命、つまりより良い命への復活の願いを植え付けられた。毎年新しい誕生を経験する自然とは異なり、私たちはイエス・キリストの復活に参加することを自分で選び取らなければならない。そしてこれはたった一度きりで良いのである。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネの福音書1:1213

一度生まれ変わったのならば、もうそれ以前に戻ることはない。

もしこれがあなたにとって意味のあることだと思うのならば、クリスチャンの友人を探すか、牧師に会いに行き、次のようなシンプルなリクエストをしてほしい。 私は生まれ変わりたいのです。」

THE WORLD: SPIRITUAL AND PHYSICAL

The plan of God for the world as revealed in the Bible is twofold: spiritual and physical.

Jesus selected 12 men to be with Him so that he might train them to do the work of God.

” He sent them out (1) to preach the good news of the Kingdom of God, (2) and to heal the sick” (Luke 9:2).

To preach the Kingdom of God addresses the spiritual need of man. To heal the sick addresses the physical need of man.

We are all have spiritual and physical needs and our Heavenly Father wants to meet both of them.

God provided for our spiritual need when Jesus came into the world, went to the cross and paid the penalty for our sins. ” For God did not send his son into the world to condemn the world, but to save the world through Him” (John 3:17).

He also wants to meet our physical needs. “Don’t worry about anything; instead, pray about everything. Tell God what you need and thank him for all He has done” (Philippian’s 4:6).

First, put your faith in God by trusting in Jesus, and second, by prayer take your needs to Him.

A gracious heavenly Father loves you and wants to be satisfy your spiritual needs, and then this loving heavenly Father want to meet your physical needs.

Is your struggle spiritual or physical ——–or both?

Whatever it is: financial strain, loneliness, job needs, poor health, rebellious children, anger, fear of death, or uncontrolled sin, you may ask God to help you, and you should ask Him now.

If you would like help, please contact me or a Christian friend for counsel.

あなたはどのくらい敏感ですか?(2025年3月17日投稿分)

私たちは、現在や将来について計画し、神が祝福してくださるように祈ることができる。

いろいろな方法がある。本を読んでチャレンジしたり、神の召命についての講演会を聞いたり、自分には才能があると励ましてくれるカウンセラーの話を聞いたり、兄や姉の成功に刺激を受けたり。これらはそれぞれに価値がある。しかし、神はあなたに別の道を用意されているかもしれない。

一つ確かなことは、神は私たちの歩みを導きたいと願っておられる、ということだ。上記のような方法もあるけれど、主はあなたにもっと良いご計画を用意しておられるかもしれない。祈りを込めて主に導きを求めるなら、主はきっと導いてくださる。しかし、あなたは神の声に敏感になり、神の導きに従う意志を持たなければならない。

詩篇1232には、天の父が私たちのために立てた計画を、私たちがどのように見極めるべきかが、非常に明確に示されている。

「まことに、しもべたちの目が主人の手に向けられ、使える女の目が女主人の手に向けられるように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれんでくださるまで。」

このみことばの場面の設定に注目しよう。あなたは、大勢の人がいて騒がしい食堂で働く使用人だ。客たちは笑い合い、歓談している。食事は半分ほど終わり、あなたは雇い主から少し離れたところに立っている。あなたは常に注意を払い、主人の様子を伺うように訓練されているので、もし彼があなたに何か用があれば、彼は手を挙げ、あなたはすぐに彼のところへ行き、何をしてほしいか小声でたずねるだろう。

この適用の一つの例として、列王記上199-15がある。この箇所でエリヤは命からがら逃げ出し、諦めて死ぬ覚悟をしている。しかし、神は預言者に語りかけられた。最初は激しい、次に地震、次に、そして最後に低いささやき声で。神があなたの注意を引き、指示を与えたいと願われている時には、あなたは神の声に耳を傾けなければならない。

神はあなたを愛し、あなたの人生に素晴らしい計画を持っておられる。しかし、あなたはすべてを神の前に捧げること、そして神の声が聞こえたならば、耳を傾け、主に従わなければならない。どうすれば神の声を聞くことができるのだろうか?それは、主と個人的に静かな時間を持つこと、忠実な従者による聖書の説教を聞くこと、そして神の言葉を個人的に学ぶことだ。

イエスは言った。「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネの福音書1027

もしあなたが決断を迫られていたり、困難な状況に置かれているなら、地震を待つのではなく、率先して主イエスがささやかれる声に耳を傾けてほしい。上記のステップに従い、確認が必要な場合は、牧師や主にある兄弟姉妹に助言を求めよう。

私は「信頼と従順」という古い歌が大好きだ。なぜなら信じて従う以外に、イエスにあって幸せになる方法はないからだ。

あなたの人生に対する神のご計画に対して、あなたはどのくらい敏感ですか?

ARE YOU LOVED? YES, YOU ARE.

Have you ever felt totally unloved and that you were of no real value to anybody? Jesus taught that every person on earth is loved and precious… to God.

Jesus told of a shepherd who owned 100 sheep, and one wandered off and was lost from the flock. The shepherd left the 99 and went searching for the one lost sheep. He searched until he found it and then carried it back to safety (Luke 15:4-7).

He told about a woman who owned 10 valuable silver coins. One turned up missing. it was lost. The woman lit a lantern, swept the floor, and searched carefully for the coin until she found it. (Luke 15:8-10)

Jesus then told of a man who had two sons. One son went to his father and demanded his share of his father’s wealth. The father divided his wealth and gave the son one half of all he owned. The son took the money and went away to a different city where he spent all the money on wild living. But when all his money was gone a great famine came on the land and the boy had nothing to eat.

Starving, he finally decided to go home to his father, to confess that he was wrong to do what he did, and to ask his father for a job as a higher hand —-not as a son—- but as an employee. As he was returning home, his father saw him coming. He ran to the son, kissed him, and welcomed him back home as a son, not as an employee. (Luke 15: 11-24)

The Bible teaches that we are all lost and apart from God. Jesus came into the world seeking and searching for his lost possession. He said, ” For the son of man came to seek and to save the lost ” (Luke 19-10).

One constant in these three stories is the love that the owner had for the lost possessions: the sheep, the coin, the son. If you are lost as the sheep and the coin were or have just strayed away as the son did, God loves you and is searching for you.

Today, God is searching for people who will worship Him in spirit and in truth. If you are like the son, you must choose to return to your loving heavenly Father.

But if you are a sheep or a coin, God is searching for you. When you do accept his love and ask Him to come into your life there will be great joy in your heart and in heaven.

Are you loved? Yes, you are!

Please contact me or a Christian friend if you desire more information about this decision.

THE PROMISES OF GOD FOR EVERY BELIEVER

He will shield you with his wings. He will shelter you with his feathers . His faithful promises are your armor and protection” Psalm 91:4 (Living Bible).

This is a great word picture of how God cares for his children, those who have put their faith and trust in Jesus.

As a bird shields and protects its young with its wings and feathers, so also God provides comfort and protection for those committed to Him.

what are the faithful promises that are our armor and protection? There are many of them in the Bible. For example:

” He is able to save completely those who come to God through Him…..(Hebrews 7:25).

” Peace I leave with you; my peace I give you” (John 14-27).

” Therefore, if anyone is in Christ, he is a new creation; the old is gone the new has come ” (2nd Corinthian 5: 17).

” If we confess our sins, he is faithful and just and will forgive us our sins and purify us from all unrighteousness” (1 John 1:9).

” Trust in the Lord with all your heart and lean not on your own understanding; in all your ways acknowledge Him, and He will make your paths straight” (Proverbs 3: 5-6).

” Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you” (Matthew 7-7).

These are just a few of the precious promises that God has given to all who call on Him.

He has promised: to save us– to give us peace– to give us a new life– to forgive us — to give us direction– to hear and answer prayer.

If you do not have all of this, you may have it this very moment, when by faith you ask Jesus to come into your life.

Please consult me, your Pastor or Christian friend if you have questions.

ある一つのこと(2025年3月1日投稿分)

一人の青年がイエスのもとにやってきて質問した。それはとても明快で、的確で、考え抜かれた良い質問であった。彼は答えを求めていた。「、、、永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」(マタイの福音書1916

これは何世紀にも渡って、すべてを手に入れても、すべてを経験しても、何かが欠けていると気づいた人々によって問われてきた問いである。

イエスの答えは簡潔であり、神の戒めを守りなさいというものだった。そして、十戒のうちの6つ、殺すな、姦淫するな、盗むな、嘘をつくな、父母を敬え、隣人を愛せを引用された。この6つは比較的順守しやすいものであることに注目してほしい。

その男がイエスに返した言葉も非常にはっきりしていた。どうやら彼は子どもの頃からこの6つをすべてを守っていたようだ。そして、彼は質問を「何をしなければならないか」から「何が欠けているか」に言い換えた。彼はとても真摯に質問したし、善い人であったが、永遠の命を得るためには、善い人であるだけでは不十分だった。完全な人、キリストにあって新しい人にならなければならなかったのだ。

イエスは彼に言われた。「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。青年はこのことばを聞くと、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。」(マタイの福音書192122

イエスはルカの福音書92325でもこう述べている。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか。」

その男には一つだけ欠けているものがあった。彼はそれが何であるかをすぐに悟り、とても悲しんでイエスのもとから立ち去った。

私から読者への質問:イエスのために実りある人生を送ることを妨げているものが、あなたに一つあるとしたら、それは何ですか?(実りある人生については、ヨハネの福音書第15を参照してほしい。)

イエスを救い主として受け入れ、イエスにあって新しく生まれた人となろうではないか。そして、(1)自分の人生を振り返り、(2)変えるべき点に取り組み、(3)喜び、そして実り豊かに生きていこう。

BLESSINGS: NOW AND THEN

The Bible says that “…. God so loved the world that he gave his one and only son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life” (John 3: 16).

This means that the Christian has been forgiven sins and after death will go to heaven. There is no need to fear what happens after death. rather than facing an angry God, we will face a God who loves us and is our heavenly Father .

But is this all that a Christian has? No! There is more —-much more.

Jesus, said, “…. I have come that they may have life, and have it to the full” (John 10:10).

The psalmist said, ” The Lord is my Shepherd , I shall not be in want (psalm 23:1).

The Bible teaches that we are to put our hope in God who: “…. richly provides us with everything for our enjoyment” (I Timothy 6:17).

The Bible also teaches that “…. the fruit of the Spirit is love, joy, peace, patience, kindness, goodness, faithfulness, gentleness, self-control” (Galatians 5:22 ,23).

Yes, the Christian has the fruit of the Spirit, and the promise of eternal life, when by faith I accept God’s gift of his Son into my life, and I am born again.

Yes, we enjoy the prospect of heaven, but we also enjoy the goodness of God on a daily basis. As believers we have blessings now and also then.

If you do not have this assurance, please contact your Pastor or me with any questions you have.

あなたは恐れていますか?(2025年3月1日投稿分)

怖いと思ったことはあるだろうか?今日の社会には、戦争、テロ、地震、病気、将来への不安、未知のものなど、恐怖を引き起こすものがたくさんある。

マタイの福音書14で、イエスの弟子たちは湖の上の舟に乗っていた。強い風が吹いていて彼らは舟を漕ぐのに苦労していた。イエスは水の上を歩きながら、彼らに向かって来られた。弟子たちはイエスを見て、ひどく恐れた。

27でイエスは「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と彼らに言われた。

そしてイエスが彼らと共に舟に乗り込むと、風は止み、すべてが静まり返った。

信者である私たちは、イエスがともにいてくださることを知っているので、恐れる必要はない。どんな嵐の中にあっても、イエスは平安と静寂を与えてくださる。

イザヤ書4110で神は私たちに「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」と語っている。

ヨシュア記19には「恐れてはならない。おののいてはならない。あなたがいくところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられる。」と書かれている。

そしてへブル人への手紙135で神は言われた。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」

だからこそ、私たちは確信を持ってこう言える。「主は私の助け手、私は恐れない。人が私に何ができるだろうか。」(へブル人への手紙136と。

あなたはどのような嵐の中にいても、神に助けを求めることができる。あなたの人生に神を招き入れるなら、神があなたを守ってくださることに得心が行くだろう。

不安な時こそ、神の言葉を思い出そう。「しっかりしなさい。私だ。恐れることはない。」

あなたは何を優先しますか?(2025年2月18日投稿分)

私たちは朝仕事に行き、一日中働いて、衣服や食料、住むためのお金を稼いでいる。週6日働く人もいれば、週7日毎日毎日働き続ける人もいる。

長時間働き、しばしば家族のことをないがしろにしながら、その報いは給料という形で得られる。しかし給料だけでは、私たちが望むことや必要なことすべてを成し遂げるために十分でないことがよくある。

しかし責任ある人生を送るためには、これらすべてが必要なのだ。聖書は教えてくれている。「もしも親族、特に自分の家族の世話をしない人がいるなら、その人は信仰を否定しているのであって、不信者よりも劣っているのです。」(テモテへの手紙第一58

果たして人生はこれがすべてだろうか?もっと何かがあるのではないだろうか?イエスは問いかけた。

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。」(マルコの福音書836

確かに、私たちは家族を養うために働くべきだが、神との関係をないがしろにしてはならない。

イエスは言った。「いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。」(マタイの福音書625

そしてまた次のようにも言っている。「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。、、、、、」(マタイの福音書61920

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイの福音書633

責任感のある人は働き、家族を養う。しかし、人生に意味を持たせるためには、まずイエス・キリストへの信仰を通して、神との有意義な関係を築かなければならない。どこで、何を、誰と、、、あなたは何を優先するだろうか?忙しいスケジュールの合間をぬって、聖書に啓示されている神を求めてみよう。助けが必要ならば、牧師やクリスチャンの友人に相談してみよう。

神を求めよう。きっとあなたとあなたの家族を祝福してくださるだろう。