私がイエスに従う10の理由(2025年10月13日投稿分)

ほとんどの人は誰かを追いかけて、その人のようになりたいと思っている。

私たち一人ひとりが違うからこそ、その人も異なる。その人はたいてい、偉大な功績で認められた人だ。男性であれ女性であれ、心から尊敬し、心から憧れる人が一人はいるものだ。私にもそんな人が二人思い浮かぶ。

私を心から愛してくれた最初の人は、65年間連れ添った最愛の妻であり、今は主のもとにいる。彼女は私を愛し、大切にしてくれた。その愛に勝るものは他にない。

私を心から愛してくれた二人目は、私が若い頃、アメリカ海軍に所属し日本の佐世保にいた頃に現れた。彼は私が生まれる前から私を愛してくれていた。聖書に記されているナザレのイエスこそがその方だ。

主は私の人生を変えてくださった。私は生きている限り、主を賛美し続ける。息を引き取る瞬間まで、私は主を賛美の歌で讃えるだろう。

私が主を愛し賛美する理由は、海岸を覆う砂粒の数ほどある。そして冬の日に舞い散る雪片の数ほど膨大で、実に多様性に富んでいる。

以下に、私が主を愛する10の理由を挙げたい。これらは詩篇146に記された詩篇作者の言葉だ。また、ぜひ詩篇全篇を読んでみることもお勧めしたい。

1.ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く人は幸いである。(5節)

2, 主は、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方。(6節)

3. 虐げられている者のためにさばきを行い、飢えている者にパンを与える方。(7節前半)

4. 主は捕らわれ人を解放される。(7節後半)

5. 主は目の見えない者たちの目を開ける。(8節前半)

6. 主はかかんでいる者たちを起こされる。(8節中半)

7. 主は正しい者たちを愛される。(8節後半)

8. 主は寄留者を守られる。(9節前半)

9. 主はみなしごとやもめを支えられる。(9節後半)

10.主はとこしえに統べ治められる。(10節)

そして最後に、私が主を愛するのは、まず最初に主が私を愛し、私のためにご自身を捧げてくださったからだ。(ヨハネの手紙第一 4:19

このブログを読み、あなたの人生が変わったのなら、今ここで立ち止まり、「主よ、感謝します」と祈ろう。

読者の皆さん、もしこれらがすべてが初めてのことで、もっと知りたいと思うのならば、次の簡単な祈りを捧げてほしい。「イエス様、私は人生にこれらのことを望みます。どうか私があなたを理解するのを助け、あなたを知る方法を教えてくれる人へと導いてください。」

終末時代の兆し:2025  (2025年10月5日投稿分)

二千年前、イエスの弟子たちは彼に非常に重要な質問を投げかけた。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」(マタイの福音書243

イエスはマタイによる福音書24章でさらに、終わりの日には次のような兆しがあると言われた。(1) 戦争と戦争の噂 (2) 飢饉 (3) 疫病 (4) 地震 (5) キリスト教徒の逮捕、迫害、殺害。

どこかで聞いたような気がしないだろうか?その通り。今日の世界では:(1) 中東やその他の地域で戦争の噂が絶えず、(2) 世界で23億人が飢えに苦しみ(3) あらゆる病気が世界を脅かしている。(4) 2024年には世界中で約9,000人が地震により死亡した。そして(5) 世界中のキリスト教徒は絶えず逮捕され、迫害され、処刑されている。

これらすべての出来事は、世の終わりと審判が近づいている兆候である。

これは悪い知らせだ。

しかし、良い知らせもある。聖書は「主は、、、、だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(ペテロの手紙第二39と言っている。

そして悔い改めの方法は、実に明確だ。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き1631

もしあなたがイエスを信じているのならば、神を賛美しよう!もしイエスをまだ信じていないのならば、信仰によって今日信じてほしい。時は短いのだから。

親愛なる読者の皆様、もしあなたがここで描かれている世界を認識し、来たるべき裁きから逃れるために何をすべきか分からないなら、次のような簡単な祈りを捧げてください。「神様、私はあなたについてよく知りませんが、あなたが世界についておっしゃっていることには賛同し、信じたいと思います。どうか、私を助けてくれる人を私の人生に送ってください。」

あなたの選択:良い知らせと悪い知らせ(2025年10月2日投稿分)

今日の世界に警戒すべきことはあるだろうか?答えはイエスだ。

家族は貧困に陥り、銀行は破綻…。地方自治体は資金不足、州は破産に直面している…。世界中の国々が債務不履行になりつつある。自然災害と人為的災害の両方が人命に深刻な被害をもたらしている。

これらはすべて悪い知らせであり、さらに悪い知らせが今後も続くことを誰もが知っている。しかし、良い知らせもある。

まずこの良い知らせは、私たちの幸福と安全を考えた時に、この世での出来事に頼る必要がない

「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」(ヨハネの福音書1427

そしてこの良い知らせは、平安を得るにあたって、この世の秩序における人の地位はまったく関係ないということだ。

預言者イザヤは記している。「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来るがよい。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買え。代価を払わないで、ぶどう酒と乳を。」(イザヤ書551

イエスは言った。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書1128

この世の秩序の中で生き、繁栄することを勧めはするが、この世の秩序があなたの心を満たすとは期待してはいけない。イエスを通して神に信仰を置き、この世に対する勝利を味わってほしい。これはあなたがしなければならない選択なのだ。

親愛なる読者の皆さん、もしあなたの人生に平安がなく、イエスだけが与えることのできるこの平安を望むなら、このシンプルな祈りを捧げてほしい。「神様、私はこの世で成功していますが、心に平安がありません。私の人生を変えてください。そして私にもっとあなたのことを教えてくれる人へと導いてください。」

神の子どもたちへの約束(10月1日投稿分)

神は聖書の中で、その子どもたちに多くの約束をし、常にその約束を守ってくださる。以下に、そのいくつかを挙げてみた。

「神は人ではないから、偽りを言うことがない。人の子ではないから、悔いることがない。」(民数記2319

神は、私たちへの愛が決して絶えることはないと約束された。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。」(エレミヤ書313

神は、私たちの祈りを聞きそして答えてくださると約束された。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」(エレミヤ書333

神は、赦しを約束された。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一19

神は、私たちを導くと約束された。「わたしは、あなたがたが行く道で、あなたを教え、あなたを諭そう。」(詩篇328

神は、私たちを強くすると約束された。「わたしはあなたを強くし、あなたを助け、、、、、」(イザヤ書4110

神は、平安を約束された。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。」(ヨハネの福音書1427

神は、喜びを約束された。「わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。」(ヨハネの福音書1511

神は、私たちを決して見放さないと約束された。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(へブル人への手紙135

神は、どのような状況にあっても恵みを約束された。「わたしの恵みはあなたに十分である。」(コリント人への手紙第二129

神は、子どもたちを天国に連れて行き、一緒に過ごすと約束された。「わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」(ヨハネの福音書1423

これらは神がその子どもたちに与えられた約束の一部である。私の祈りは、あなたがイエスを信じ、神の子となることだ。神の子どもとして、これらの約束をあなたも受け取ることができるのだから。

もしこれらがあなたの人生にはないけれど、あなたがそれらを望むなら、この祈りを捧げてほしい。「神様、私はあなたを知りません。でも知りたいのです。そしてこれらすべてを私の人生に与えてください。どうかご自身を私に示してください。あるいは助けてくれる人を送ってください。」

避けることができないもの:死と裁き(2025年9月22日投稿分)

よく言われる言葉に「人生で確実なものは二つだけ。それは死と税金だ。」というのがある。しかし、これは半分しか真実ではない。誰もが死を迎えるが、すべての人が税金を払うわけではないからだ。

実際のところ、すべての人が必ず直面する二つのことは死と裁きである。聖書には次のように書かれている。

「、、、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように」(へブル人への手紙 9:27

まず最初に確かなことは、は人を選ばないということであり、これは統計的な事実である。死は偉大な共通項だ。これまで生きてきた人間の中で、二人(旧約聖書のエノクとエリヤ)の例外を除き、すべての人が死んでいる。

死は、人の富や知恵、あるいは個人的、政治的、社会的地位などに興味はなく、そのすべてを奪ってしまう。

二つ目に確かなこと、すなわち裁きもまた人を選ぶことはない。聖書は語っている。

「ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。」(ローマ人への手紙1412

それでは私たちは、死と裁きに対して、どのように備えるべきだろうか?

死に備える方法として、私は次のことを提案したい。(1) 遺言書を作成する、(2) 借金を返済し、家族に負担をかけないようにする、そして(3) 家族が行わなければならない葬儀の手配を済ませておくこと。

裁きに備える方法としては、次のことを提案したい。すなわち、それを完全に避けるということだ。聖書はこのことについて、非常に明確に述べている。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」(ヨハネの福音書524

私たちがイエスを(私たちの)罪のためのいけにえとして信じるならば、神の裁きと非難に直面することは決してない。

もしあなたがまだイエスを信じていないなら、今すぐ信じて、あなたを救ってくださったことに感謝しよう。

もしあなたが神の愛についての記述を初めて読み、どうすればよいかわからないなら、次の簡単な祈りを唱えることをお勧めしたい。「神様、私はあなたを知りません。でも知りたいのです。どうか私を助けてくれる人を送ってください。イエスの御名によってお願いします。」

あなたのレガシー(遺産)は何ですか?(2025年9月22日投稿分)

ドン・ハスキンス(Don Haskinsは、南テキサスにある小さな大学、テキサス・ウェスタン・カレッジのバスケットボールコーチだった。38年間のコーチのキャリアの中で、彼のチームは719勝を挙げた。

1966年、この小さな大学のチームは、全米選手権において強豪ケンタッキー大学を制しバスケットボール界に衝撃を与えた。大番狂わせだった。しかし、ハスキンスの指導は試合に勝つこととはまったく関係がなく、そのすべてが人生を形作ることと深く関わっていた。

ダラスのスポーツライターはドン・ハスキンスについてこう語った。「人生の終わりに重要なのは、その人が生涯で成し遂げたこと―家や車や金銭―ではなく、その人が触れた人生の数である。それが私たちが残すことができる唯一のレガシー(遺産)なのだ」

スポーツライターはさらに、ハスキンスがこの38年間でどれほど多くの人々の人生に影響を与えたか、計り知れないとも述べている。

聖書は語っている。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第二517

「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」(エペソ人への手紙17

イエスが行った数々の奇跡、不思議、しるしの中にあって、永遠に受け継がれるレガシー(遺産)は、イエスが変えた数えきれないほどの人々の人生である。

私たちのレガシー(遺産)もまた、家や車、金銭だけではないはずだ。私たちがイエスを伝えることによって、他の人々の人生が変わっていくのを見ることによって、それが素晴らしいレガシー(遺産)となる。

あなたはどんなレガシー(遺産)を残していくだろうか?

親愛なる読者の皆さん。私がレガシー(遺産)と言うとき、それはあなたが死んだ時に子供たちに残すものを意味する。あなたが彼らに残せる最善のものは、イエスについての知識だ。もしあなたがイエスを知らないなら、今すぐこのシンプルな祈りを捧げてほしい。「イエス様、私はあなたを知りませんが、知りたいのです。どうか私にあなた自身を現してください。そうすれば私は永遠の命を得て、これを子供たちに伝えることができるようになります。」

神の子どもたちへの約束(2025年9月13日投稿分)

私が最も好きな聖句の一つは、申命記318だ。

「主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」

この聖句が私にとって意味することは:

1)神は私の前を行かれる。神は私の将来を知っておられ、また定められる。

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っているー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書2911

2)主は私と共にいてくださる。私は一人で人生に向き合う必要はない。困難な時、主は助けてくださる。喜びの時、主は私と共に喜んでくださる。

「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイの福音書2820

3)主は決して私を見放したり、見捨てたりはなさらない。神は決して私を置き去りにして、一人で人生を歩ませることはなさらない。主はいつも私と共にいて、導き励ましてくださる。

「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(へブル人への手紙135

4)私は恐れる必要はない。恐れる理由などない。創造主なる神は私を愛しておられる。神は全能であり、人生のあらゆる状況において信頼に値する方である。

「主は私の助け手。私は恐れない。人が私に何ができるだろうか。」(へブル人への手紙136

5)私は決してくじけない。何が起きているのか理解できない時、何度もくじけそうになる。しかし神は私を愛し、すべてを支配しておられる。今は人生に闇があるかもしれないけれど、いつか必ず光が差すことだろう。

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ書4110

私を愛し、いつくしんでくださるこの神を信頼してほしい。神はあなたに、神ご自身と神の平安を知ってほしいと願っておられる。

親愛なる読者の皆さんへ。もしこれがあなたにとって全く新しいことであっても、これを人生に取り入れたいと思うなら、どうかこのシンプルな祈りを捧げてほしい。「神様、私はあなたを知りません。でも知りたいのです。どうか助けてください。どうか私を導いてくれる人を送ってください。」

あなたにも試練の時がやってくる(2025年8月14日投稿分)

「エフライムの人々は、弓を射る者であったが、戦いの日には退却した。」(詩篇789

ここでの教訓は明確である。それは「訓練の成果は実戦で試される」ということだ。

人生の教室で学んだことは、将来必ず試されることになる。

戦いの日が来たとき、エフライムの戦士たちはなぜ失敗したのか。次の節を読むと理解が深まるかもしれない。

「彼らは、神の契約を守らず、神のおしえに従って歩むことを拒み、神の数々のみわざを忘れてしまった。神が見せてくださった多くの不思議を。」(詩篇781011

彼らが試みに失敗した理由は、(1) 啓示された真理に従わなかったことと、(2) 過去の神の慈しみを覚えていなかったことにある。

あなたが今日どんな試練に直面していようとも、あなたの「戦いの日」がいつであろうとも、次の二つのことを覚えておいてほしい。

1. 神があなたに啓示された真理に従うこと。

2. 過去に神から受けた良きことを繰り返し心に思い返すこと。

もしあなたの「戦いの日」がまだ訪れていないなら、心配しなくてもいい。その時が来たならば、私たちは決してあなたを見捨てない愛情深き天の父に仕えているといることを覚えておこう。

戦士として、喜んで愛する人のもとへ赴き、共にいる準備ができているだろうか?

読者のあなたへ問う――あなたは赴く準備ができていますか?

神の御心:恵み、あわれみ、平安(2025年8月12日投稿分)

「信仰による、真のわが子テモテへ。父なる神と私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。」(テモテへの手紙第一12

この聖句は、神がすべての人に望まれているものを明らかにしている。それは恵み、あわれみ、そして平安である。

恵みとは、「私たちが受けるに値しないもの」を受け取ることである。私たちは罪の赦しと永遠の命を受けるに値しないが、聖書は次のように語っている。

このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」(エペソ人への手紙17

「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。、、、、」(エペソ人への手紙28

神は私たちが「値しないもの」を与えてくださるお方である。

あわれみとは、「私たちが受けるに値する」ものを受け取ることではない。私たちは死に値する存在なのだから。「こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に、、、」(ローマ人への手紙512)「罪の報酬は死です。、、、」(ローマ人への手紙623神のあわれみによってのみ、私たちは永遠の死から逃れることができるのである。

そして、平安とは、イエスキリストへの信仰を通して神からの賜物である恵みとあわれみを受け取ったことの結果である。「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ人への手紙51

もしあなたがイエスへの個人的な信仰によって義とされたなら、今日、神の恵みとあわれみと平安に感謝しよう。

もしあなたがイエスを救い主として信じ、心の平安と人生の意味を求めているなら、今日イエスに祈り、神に従って生きる中でこの「神の平安」を受け取ってほしい。

もしあなたがまだイエスを信じる信仰を持たず、そして助けが必要ならば、クリスチャンの友人か私に連絡してほしい。

人生における確かなことと不確かなこと(2025年7月27日投稿分)

聖書は、人生の短さと不確かさについて非常に明確に述べている。

「人、その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。風がそこを過ぎると、それはもはやない。その場所さえも、それを知らない。」(詩篇1031516

「明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないのだから。」(箴言271

2010年6月14日の朝、私は人生がいかに不確かであるかを学んだ。

月曜日の朝の聖書勉強会の準備を整えながら、生徒たちが到着する前に自分の視線がうまく定まらないことに気が付いた。複視だった。すぐにテキサス州アービング市にあるベイラー医療センターの救急外来へ向かい、その後6日間、脳の血栓による脳卒中の回復のため入院することになった。後遺症は残らず、完全に回復することができた。

一夜にして、私は命と健康がいかに脆いものであるか、そして人間はどれほどそれらのことを当たり前のことと思っているかを知った。

この警鐘とも言えるべきことは、遅かれ早かれ誰にでも訪れるものであり、その日が来た時に私たちはそれに備えていなければならない。しかし、人生における多くの出来事を私たちがコントロールできない以上、すべてを司っておられるお方、すなわち私たちの主権者である神を信頼しなければならない。

その日のために備えるべき神の約束は数多くある。その一つはエレミヤ書29章11節にある。「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っているー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」神は、私たち信者が、状況の良し悪しに関わらず、平和と未来と希望を持つことを望んでおられるのだ。

また「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)ともある。すべてのこととは、良いことも、悪いことも、不確かなものも含めてありとあらゆるものを意味する。

これが私が信じる神であり、私が仕える神である。私の人生に不確かさはなく、あなたがイエスに従う者ならば、あなたの人生にも不確かさがあってはならない。

もしあなたがイエス・キリストの信者ではなく、この確信を持っていないなら、私かクリスチャンの友人や牧師を探して、今日この問題を解決されることをお勧めしたい。