あなたはどのくらい敏感ですか?(2025年3月17日投稿分)

私たちは、現在や将来について計画し、神が祝福してくださるように祈ることができる。

いろいろな方法がある。本を読んでチャレンジしたり、神の召命についての講演会を聞いたり、自分には才能があると励ましてくれるカウンセラーの話を聞いたり、兄や姉の成功に刺激を受けたり。これらはそれぞれに価値がある。しかし、神はあなたに別の道を用意されているかもしれない。

一つ確かなことは、神は私たちの歩みを導きたいと願っておられる、ということだ。上記のような方法もあるけれど、主はあなたにもっと良いご計画を用意しておられるかもしれない。祈りを込めて主に導きを求めるなら、主はきっと導いてくださる。しかし、あなたは神の声に敏感になり、神の導きに従う意志を持たなければならない。

詩篇1232には、天の父が私たちのために立てた計画を、私たちがどのように見極めるべきかが、非常に明確に示されている。

「まことに、しもべたちの目が主人の手に向けられ、使える女の目が女主人の手に向けられるように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれんでくださるまで。」

このみことばの場面の設定に注目しよう。あなたは、大勢の人がいて騒がしい食堂で働く使用人だ。客たちは笑い合い、歓談している。食事は半分ほど終わり、あなたは雇い主から少し離れたところに立っている。あなたは常に注意を払い、主人の様子を伺うように訓練されているので、もし彼があなたに何か用があれば、彼は手を挙げ、あなたはすぐに彼のところへ行き、何をしてほしいか小声でたずねるだろう。

この適用の一つの例として、列王記上199-15がある。この箇所でエリヤは命からがら逃げ出し、諦めて死ぬ覚悟をしている。しかし、神は預言者に語りかけられた。最初は激しい、次に地震、次に、そして最後に低いささやき声で。神があなたの注意を引き、指示を与えたいと願われている時には、あなたは神の声に耳を傾けなければならない。

神はあなたを愛し、あなたの人生に素晴らしい計画を持っておられる。しかし、あなたはすべてを神の前に捧げること、そして神の声が聞こえたならば、耳を傾け、主に従わなければならない。どうすれば神の声を聞くことができるのだろうか?それは、主と個人的に静かな時間を持つこと、忠実な従者による聖書の説教を聞くこと、そして神の言葉を個人的に学ぶことだ。

イエスは言った。「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネの福音書1027

もしあなたが決断を迫られていたり、困難な状況に置かれているなら、地震を待つのではなく、率先して主イエスがささやかれる声に耳を傾けてほしい。上記のステップに従い、確認が必要な場合は、牧師や主にある兄弟姉妹に助言を求めよう。

私は「信頼と従順」という古い歌が大好きだ。なぜなら信じて従う以外に、イエスにあって幸せになる方法はないからだ。

あなたの人生に対する神のご計画に対して、あなたはどのくらい敏感ですか?

ある一つのこと(2025年3月1日投稿分)

一人の青年がイエスのもとにやってきて質問した。それはとても明快で、的確で、考え抜かれた良い質問であった。彼は答えを求めていた。「、、、永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」(マタイの福音書1916

これは何世紀にも渡って、すべてを手に入れても、すべてを経験しても、何かが欠けていると気づいた人々によって問われてきた問いである。

イエスの答えは簡潔であり、神の戒めを守りなさいというものだった。そして、十戒のうちの6つ、殺すな、姦淫するな、盗むな、嘘をつくな、父母を敬え、隣人を愛せを引用された。この6つは比較的順守しやすいものであることに注目してほしい。

その男がイエスに返した言葉も非常にはっきりしていた。どうやら彼は子どもの頃からこの6つをすべてを守っていたようだ。そして、彼は質問を「何をしなければならないか」から「何が欠けているか」に言い換えた。彼はとても真摯に質問したし、善い人であったが、永遠の命を得るためには、善い人であるだけでは不十分だった。完全な人、キリストにあって新しい人にならなければならなかったのだ。

イエスは彼に言われた。「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。青年はこのことばを聞くと、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。」(マタイの福音書192122

イエスはルカの福音書92325でもこう述べている。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか。」

その男には一つだけ欠けているものがあった。彼はそれが何であるかをすぐに悟り、とても悲しんでイエスのもとから立ち去った。

私から読者への質問:イエスのために実りある人生を送ることを妨げているものが、あなたに一つあるとしたら、それは何ですか?(実りある人生については、ヨハネの福音書第15を参照してほしい。)

イエスを救い主として受け入れ、イエスにあって新しく生まれた人となろうではないか。そして、(1)自分の人生を振り返り、(2)変えるべき点に取り組み、(3)喜び、そして実り豊かに生きていこう。

あなたは恐れていますか?(2025年3月1日投稿分)

怖いと思ったことはあるだろうか?今日の社会には、戦争、テロ、地震、病気、将来への不安、未知のものなど、恐怖を引き起こすものがたくさんある。

マタイの福音書14で、イエスの弟子たちは湖の上の舟に乗っていた。強い風が吹いていて彼らは舟を漕ぐのに苦労していた。イエスは水の上を歩きながら、彼らに向かって来られた。弟子たちはイエスを見て、ひどく恐れた。

27でイエスは「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と彼らに言われた。

そしてイエスが彼らと共に舟に乗り込むと、風は止み、すべてが静まり返った。

信者である私たちは、イエスがともにいてくださることを知っているので、恐れる必要はない。どんな嵐の中にあっても、イエスは平安と静寂を与えてくださる。

イザヤ書4110で神は私たちに「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」と語っている。

ヨシュア記19には「恐れてはならない。おののいてはならない。あなたがいくところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられる。」と書かれている。

そしてへブル人への手紙135で神は言われた。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」

だからこそ、私たちは確信を持ってこう言える。「主は私の助け手、私は恐れない。人が私に何ができるだろうか。」(へブル人への手紙136と。

あなたはどのような嵐の中にいても、神に助けを求めることができる。あなたの人生に神を招き入れるなら、神があなたを守ってくださることに得心が行くだろう。

不安な時こそ、神の言葉を思い出そう。「しっかりしなさい。私だ。恐れることはない。」

あなたは何を優先しますか?(2025年2月18日投稿分)

私たちは朝仕事に行き、一日中働いて、衣服や食料、住むためのお金を稼いでいる。週6日働く人もいれば、週7日毎日毎日働き続ける人もいる。

長時間働き、しばしば家族のことをないがしろにしながら、その報いは給料という形で得られる。しかし給料だけでは、私たちが望むことや必要なことすべてを成し遂げるために十分でないことがよくある。

しかし責任ある人生を送るためには、これらすべてが必要なのだ。聖書は教えてくれている。「もしも親族、特に自分の家族の世話をしない人がいるなら、その人は信仰を否定しているのであって、不信者よりも劣っているのです。」(テモテへの手紙第一58

果たして人生はこれがすべてだろうか?もっと何かがあるのではないだろうか?イエスは問いかけた。

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。」(マルコの福音書836

確かに、私たちは家族を養うために働くべきだが、神との関係をないがしろにしてはならない。

イエスは言った。「いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。」(マタイの福音書625

そしてまた次のようにも言っている。「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。、、、、、」(マタイの福音書61920

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイの福音書633

責任感のある人は働き、家族を養う。しかし、人生に意味を持たせるためには、まずイエス・キリストへの信仰を通して、神との有意義な関係を築かなければならない。どこで、何を、誰と、、、あなたは何を優先するだろうか?忙しいスケジュールの合間をぬって、聖書に啓示されている神を求めてみよう。助けが必要ならば、牧師やクリスチャンの友人に相談してみよう。

神を求めよう。きっとあなたとあなたの家族を祝福してくださるだろう。

小さなことに大きな意味がある (2025年2月18日投稿分)

1954年に人気歌手キティ・カレンがレコーディングした曲は瞬く間に人気を博した。タイトルは『Little Things Mean a Lot(小さなことに大きな意味がある)』(邦題は『灼熱の恋』)。愛と愛への渇望を歌った感動的な曲だった。世俗的な歌ではあったが、私はとても大事な霊的類似点に気づいた。

この歌は「大きなもの 」を超越し、「小さなもの 」に完全に焦点を合わせ愛について語っている。確かに小さなことには大きな意味がある!しかし、私たちの天の父は、大きなものから小さなものまで、日々私たちを祝福してくださっている。

以下は、愛と確信を求める祈りの霊的意味として解釈できるこの歌のいくつかの節である。:

道に迷った時は手を貸してほしい。泣きたい時には肩を貸してほしい。晴れの日でも曇りの日でも、私が憩える心を与えてほしい。あなたが私を忘れていないことの証として、「秘密の微笑み」の温もりを送ってほしい。いつまでも、今も、そしてこれからも「小さなこと」には大きな意味があるのだから。

信者として、ついつい大きなこと(最後の車のローン、住宅ローン、昨年の休暇の費用、子供の歯列矯正費用、母親の手術費用など)にばかり気を取られ、小さなことは見落としがちだ。

しかし当たり前だと思ってしまっている小さなことはどうだろう?タイヤがパンクした時に助けてくれた車の運転手、娘が残してくれた「愛してる」と書かれたメモ、辛い時に上司から「今日は休んだらどう?」と言われたこと、友人から励ましの電話など。大きなことには感謝するが、しかし、一日を明るくしてくれるのは、思いがけない、小さな出来事だったりするのだ。

聖書はこのことについて明確に述べている。「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙第一518

しばし時間をとって、あなたにとって大きな意味を持つ小さなことについて考えみよう。そして天の父に感謝し、そして励ましを必要としている誰かと分かち合ってほしい。

キティ・カレンは正しかった。小さなことには大きな意味がある

どの声に従うか?(2025年2月14日投稿分)

「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。あなたの目が、わたしの道を喜ぶようにせよ。」(箴言2326

サタンは言う。「わが子よ、あなたの心を私にゆだねよ。そして私が言う通りにせよ。」

どうやら、心は私たちの思考の源であり、精神は実行者であるようだ。では、サタンは私たちに何をさせようとしているのか?彼は、エデンの園でエバを騙したのとまったく同じように、私たちを騙そうとしている。彼は、神が禁じていた良いものによって彼女を誘惑したのだ。

サタンは、良い仕事に就くこと、良い教育を受けること、家を買うこと、ビジネスを始めること、健康を維持すること、その他言い尽くせないほどのことを勧めてくるだろう。

これらはすべて、私たちが望み、追い求めたいと思う良いことである。そして、悪魔はあなたの邪魔をせず、むしろ励まし、成功を与えてくれるだろう。

では一体何が問題なのか?問題はその優先順位であり、サタンはこれについては、あなたと話し合う気は毛頭ない。あなたがサタンに背を向け、神が望んでおられる者になろうとするたびに、サタンはあなたの気をそらそうとするだろう。サタンは、あなたが良いこと(good)をすることを促し、最善のこと(the best)をするのを思いとどまらせようとするだろう。

イエスは言った。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイの福音書633

「まず (first)」という言葉を強調したいと思う。神は、あなたの人生において何が第一であるかを決定する責任と特権をあなたに与えておられる。

自分の人生を振り返り、神を求めることをリストの一番上に置こう。そして上に書いた他の 「こと」が納まるべき場所に落ち着くことを見守るだけでいい。

簡単に言うと、ただひたすらにあなたを愛する方の声に従うということ、そしてサタンには失せろ!と告げることだ。

あなたはあなた自身を知っている?神はご存知です!(2025年2月12日投稿分)

「主よ、あなたは私を探り、知っておられます。あなたは、私の座るのも立つのも知っておられ、遠くから私の思いを読み取られます。あなたは私が歩くのも伏すのも見守り、私の道のすべてを知り抜いておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそのすべてを知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとって、あまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。」(詩篇13916

この言葉は示唆に富み、完全なものだが、詩篇全体の序文に過ぎない。詩編は、神があなたと私について知っていることすべてを語っている。

この章の残りの部分を読んで、神が知っていることすべてを列挙する必要はない。しかし、その全文を読んで、自分が神の目から見てどれほど特別で貴重な存在であるかを実感してほしい。

神様はあなたのことをすべてご存知で、それでもあなたを愛しておられる!そう、神様はあなたのことを「すべて」ご存知なのだ。

あなたも私も、神の基準で行動することはできない。私たちは他人の言葉や行動を、裁き、非難し、批判し、それに応じて接する。しかし、神が私たちを愛してくださるように、私たちも互いに愛し合い、祈り合い、赦し合い、寄り添い、共に悩み苦しみ、互いに実りあるクリスチャンとして生きなければならない。

少し時間を取って、自分が「本当は」どんな人間なのか、じっくり考えてみよう。見逃してしまうこともあると思うので、すべての可能性を列挙するつもりは毛頭ない。しかし思い浮かぶものをいくつか挙げてみようと思う。:

すぐに他人を判断し、批判する、

他人の罪を赦すのが遅い、

約束したことを実行できないことが多い、

神に喜ばれない考えを持っている、

自分のものでないものをしばしば手に入れようとする傾向がある、

両親の名誉を傷つけてしまうことが多い。

もしあなたがこれらの考えや他の考えに思い当たる節があるとしても、すべてを失ったわけではないことを覚えておこう。神はあなたを愛し、あなたの人生に素晴らしい計画を持っておられる。それはあなた次第だ。あなたは行動を起こさなければならない。神の約束を思い出してほしい。

「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一19

またソロモン王はこのことについて、次のように語っている。「自分の背きを隠す者は成功しない。告白して捨てる者はあわれみを受ける。」(箴言2813

あなたのリストを作り、すぐに実行に移そう。

神があなたに必要な変化を起こしてくださることを願おう。

あなたの宝物はどこにあるのか?(2025年2月12日投稿分)

もしあなたが正しい選択をすれば、宝物はいたるところにある。

「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。」(マタイの福音書61921

ここでの肝心な質問は、あなたの宝物がどこにあるかではなく、あなたの心がどこにあるかということだ。聖書は「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。」(エレミヤ書179と言っている。

だからこの件に関しては自分の心を信頼してはいけない。イエスの次の言葉を信じるべきだ。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイの福音書633

私には、この世で富と成功を得て、天国に宝を蓄えている友人がたくさんいる。彼らは皆、正しい決断をしたからだ。

聖書はこの問題に関して、天の父は自分の子供たちが与えられた祝福を享受することを望んでいることを明らかにしている。「今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、来るべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。」(テモテへの手紙代位ch61719

私からあなたへの祈りは、あなたが所有するすべては、一時的ではかないものであることを悟り、今持っているものを楽しみながら、自分の人生において神を第一とすること、何事につけそれらを神のために用いて天国に宝を蓄えてほしいということだ。

聖バレンタインよりも偉大なもの(2025年2月12日投稿分)

西暦269年、ローマ皇帝クラウディウス2世はローマにおけるあらゆる結婚と婚約を禁じた。カトリックの司祭バレンタインは、愛し合う男女を密かに結婚させていたため、西暦269年2月14日クラウディウス帝によって処刑された。

後にバレンタインは恋人たちの守護聖人聖バレンタインとなり、今日では多くの国で毎年2月14日にバレンタインデーが祝われている。バレンタインが死ぬ直前にしたことは、ある若い女性に「あなたのバレンタインより」と署名したメモを残したことだった。

これは愛に対する驚くべき証である。聖バレンタインは愛のために命を捧げた。しかし、数少ない恋人たちのためではなく、全人類のために命を捧げた方がもう一人いる。

聖バレンタインは、人々が愛するために命を捧げた。イエスは人々が生きるために命を捧げられた。

聖書にはこう書かれている。「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネの福音書1513

そして聖書はまた次のことを教えている。

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって、私たちにいのちを得させてくださいました。それによって、神の愛が私たちに示されたのです。」(ヨハネの手紙第一49

神の愛の驚くべき点は、私たちが愛されるに値するからではなく、神が愛したいから私たちを愛して下さるというところにある。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネの手紙第一410

そして神の愛はすべての国々に向けられている

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書316

今少しの間、時間をとって、あなたを愛し、あなたの天の父でいてくださる神に感謝を捧げよう。

あなたの人生にまだイエスを受け入れていないのであれば、今すぐに受け入れてほしい。それは信仰によるシンプルな祈りによってなされる。すなわち、あなたが新しい生き方を望んでいること、神の子イエスをあなたの人生に受け入れ、日々神に仕えることを望んでいることを神に伝えるということだ。

これがあなたにとって新しい始まりであるならば、新しく生まれ変わった人として、この新しい人生において導いてくれる信仰の先輩を探し求めてほしい。

イースターと福音メッセージ (2025年2月10日投稿分)

木々には葉がなく、草は茶色い。雪や氷が地面を覆い、木々や植物、農作物に深刻な被害をもたらしている地域もある。ホームレスの人々は夜通し震えながら、日の出と暖かい太陽を待ち望んでいる。これが冬だ。ほとんどの場合、冬は自然にとっても人間にとっても耐え忍ぶ時である。

しかし、今が冬ならば必ず春がやってくる。これが神の創造の法則だ!

雪や氷が解け、川や湖に清らかな水が供給される。花々が芽吹き、咲き乱れ、茶色い枯れ草に代わって緑の草が生え、色彩が戻ってくる。木々は実を結ぶプロセスを開始する。まず緑の葉、次に小さな花、そしてつぼみ、最後に神のタイミングで実がなる。このプロセス全体が、死者の中から蘇る復活の型なのだ。

一年のうちのこの時期に、世界中の人々が、世界の歴史上最も偉大で、最も重要な「復活」を記憶し、祝うのは偶然ではない。それは、主イエス・キリストの死からの復活である。

これが福音、すなわち神からの良い知らせである。

「、、、キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと」(コリント人への手紙第一15:3,4)

「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第二517

「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(コリント人への手紙第一1520

この記念日は、イースターバニーやイースターエッグが目的ではない。

神が御子イエスの復活を通して私たちに与えてくださった新しい命を喜ぶ時である。

勇気を出そう。冬が訪れれば、かならず春がやってくる!落胆しているなら、希望を持ち、救い主であり友であるイエスに目を向けよう。