心配事への解決策(2024年12月27日投稿)

定義によれば、懸念/気にかける(concern)と心配(worry)にはわずかな違いがある。

ひとたびconcernが手に負えなくなれば、それはworryとなる。両者には天と地ほどの差がある。

定義上、懸念/気にかける(concern)とは、問題を発見して当事者に答えを探させることから、ある意味有用なものである。その一方で、心配(worry)は問題の存在に気付きながら解決策を見出すことができない。クリスチャンであろうとなかろうと、すべての人はこの二つを見分けなければならない。そしてもし心配がその人を支配しているのならば、その人は問題を抱えていることになる。

詩篇37篇の作者は、どうやって心配に対処すべきか教えてくれている。37篇で心配を意味する単語は「fret」であり(詩篇37:1,7,8)、これは不満を持つ、腐食を引き起こす、何かをかじる、という意味である。(*注日本語聖書では、口語訳=心を悩ます/新改訳2017=腹を立てる)

作者は言う。この世には(1)してはならないことがあり、(2)しなければならないことがあると。

第一に、私たちは悪いことをする人に懸念を抱いたり、心配したりしてはいけない。そして、彼らが成功し、繁栄しているとき、私たちは彼らを妬んではいけない。それは神の仕事であり、私たちの仕事ではない。神はご自分のやるべきことをしっかりとやってくださる。「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。」口語訳聖書(詩篇3712

第二に、想定外の問題に直面したとき、主に信頼することである。「主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。」口語訳聖書(詩篇3734

クリスチャンは、人生におけるネガティブな出来事についても常に気にかけるべきではあるが、それらについて心配するのであれば、それはすなわち祈りが十分に捧げられていないことを示している。

CHOOSING A YOKE FELLOW

Realize it or not every person seeks perfection in every area of life. We may never find perfection in all those things we want, but we get as close as we can. If I buy a new car, I want it to be perfect. If I can’t afford a new one, I want one nearly perfect. In marriage you will never find the perfect yoke fellow. But be encouraged God is able to bring into your life someone who seems in your eyes to be nearly perfect in every way!

There are two decisions that nearly every man or woman will face in life: with whom do I spend eternity and with whom do I spend time. More precisely how do you choose a Christian yoke fellow for eternity and time.

When you decide to put your trust in Jesus as your personal Savior the issue of eternity is settled. You have found the perfect yoke fellow. When you choose the one to marry the issue of time is settled. Our focus here is to provide guidelines for marriage and the true yoke fellow. What do you look for in a life mate.

Question one: is this person a Christian? If the answer is no, you should look further. The Bible is very clear “ Do not be unequally yoked with unbelievers. For what partnership has righteousness with lawlessness …..” (2nd Corinthians 6:14) If the answer to question one Is yes then go to question two.

Question two: would you be interested in studying the Bible with me? If the answer is yes, the two of you should read and study the Bible together. If the answer is no, perhaps you should look further for your true yoke fellow.

新年がやってくる。あなたは準備ができていますか?(2024年12月25日投稿)

新しい1年がやってくる。成功と繁栄―そして失敗や苦しみーという新たな一年だ。

新しい年を迎えるにあたって、私たちは成功も失敗も、繁栄も苦しみもあることを理解しなければならない。

成功や繁栄は、時として失敗や苦しみと同じように人を打ちのめすことがある。お金や名声や成功は、永続的な幸福をもたらすものではない。これらは一瞬にして消えてしまうかもしれない。

では、良いことも悪いことも経験することになるとわかっている私たちは、新しい年をどのように迎えるべきだろうか?

まず、神があなたの人生と計画の中で重要な位置を占めていることを確信することだ。

が家を建てるのでなければ建てる者の働きはむなしい。が町を守るのでなければ守る者の見張りはむなしい。」(詩篇127:1)

神があなたの人生に介入し働いてくださるのは、祈りによってあなたの許可を得た時だけであることを覚えておこう。

「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って、、、、、」(ヨハネの黙示録320

第二に、これを実行したならば、神の子としてあなたに対する神の計らいを信頼することである。次の節での「すべてのこと」とは、すなわち、良いことも悪いことも、楽しいこともそうでないことも意味している。

「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙828

最後に、良いことであれ悪いことであれ、過去に捕らわれることなく、あなたの未来のために神を信じることだ。

「ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」(ピリピ人への手紙31314

過去に経験した成功や繁栄が何であれ、神に感謝すること、そしてそれに捕らわれずにただ前進すること。そして過去にどんな失敗や苦しみを経験していたとしても、そこから学び、手放し、前進することだ。

神があなたを愛し、あなたの人生に素晴らしい計画を持っておられることを忘れてはならない。ただし、それはあなたの許可があった場合に限られる。

今頭を垂れてこういうべきだ。「主よ、私の人生をより良いものに変えてくださることを許可します。そうしてくださることに感謝します。」

そしてあなたの人生に良いことが起こっても、決して驚かないこと。神に感謝して、この祝福をまわりにいる人々にも分かちあおう。そうすれば彼らも祝福される。とにかく続けていこう。

クリスチャン生活に必要不可欠なこと:証しすること(2024年12月25日投稿)

すべての信者に対する神の御心は、マタイによる福音書28章18節から20節に、イエスによって明確に述べられている。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。』」(マタイの福音書281820

まず18節でイエスが宣言したことに注目しよう。イエスには、天においても地においても力が与えられており、父から与えられたこの権威によって、以下のことを弟子たちを指導する資格が与えられている。

弟子たちは教えに出て行き、あらゆる国の人々にバプテスマを授け(19節)、イエスが彼らに教えたことを教える。そして人々が従順に従ってイエスが求めたことを実行する時、イエスは彼らと共にいてくださるという約束に注目しよう。

マルコによる福音書161520にもまた、イエスが他の人々に伝えるよう指示していたことが書かれている。「、、、全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。、、、、」

使徒の働きの著者も、クリスチャン生活におけるこの本質的な真理を記録している。信者は皆、良い知らせを他の人々に伝える責任がある(使徒の働き1611)。

この真理を最後に示すのが、マルコによる福音書519である。この箇所で、イエスは悪霊に憑りつかれた男を癒した。彼はイエスと一緒に行きたいと願い出たのだが、イエスは「いいえ、家に帰り、神があなたにしてくださったことを他の人に話しなさい」と言われた。これこそが、神が私たちに望まれていることだ。あなたがすでに実行しているのであれば、その良い仕事を続けよう。神はあなたの従順さを祝福してくださるだろう。

イエスを信じる者は皆、種を蒔く人か刈り取る人のどちらかになるべきだ。あなたはどちらだろう?私の願いは、あなたがその両方になることだ。

THREE DIMENSIONS OF MAN

Every person has three dimensions: (1) as others see you, (2) as you see you and (3) as God sees you. An understanding of these three dimensions is essential to the growth and success of the follower of Jesus.

How do other people see you? They see you as attractive, well-groomed, pleasant, a devoted believer, and pleasant to be around. They see you as one who exhibits the fruit of Galatians 5:22,23 ” But the fruit of the Spirit is love, Joy, peace, patience, kindness, goodness, faithfulness, gentleness, self-control …..” Your response is positive; you are pleased with how people see you.

How do you see you? You see a person who quite often does not love others, who has happiness with very little joy, who struggles to find peace of heart, who lacks patience with certain people and who lacks self-control in many areas. I could list more, but you understand where I’m going.

This contradiction is expressed by the apostle Paul in Romans 7:15,18. ” For I do not understand my own actions. For I do not do what I want, but I do the very thing I hate. For I have the desire to do what it right but not the ability to carry it out.”

Finally, how does God see you? He sees you as one he loves very much. He loved you so much that he came into this world as a man, to live as a man, and to die as a man. He went into the pawn shop of life and purchased your ticket with his own blood. You now belong to Him. This truth is presented throughout the entire Bible and is summarized In First Corinthians 1:30,31: ” And because of him you are in Christ Jesus, who became to us wisdom from God, righteousness and sanctification and redemption, so that, as it is written, Let the one who boasts, boast in the Lord.”

Here are your instructions: (1) graciously accept how others see you (2) vigorously reject or correct the old you and (3) faithfully live as Jesus empowers you. And remember we are all in the same boat!

なぜクリスチャンは喜ぶべきなのか?

あなたはクリスチャンであるけれど、仕事もなく、支払い期限が過ぎた請求書や、乗り越えられないと思われる家族問題を抱えているかもしれない。

これらは誰もが直面する現実の問題であるが、いつかは解決しなければならない。このような現実的な問題の渦中にあって、あなたには試練や問題に耐えうる礎があることを思い出してほしい。これらの問題はあなたにだけ起こる問題ではないことを理解した上で、あなたには今日も喜ぶべき理由があることをお伝えしたい。

聖書は「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ人への手紙4:4)と言っている。

苦しみの中にいる時に、なぜ私たちは主にあって喜ばなければならないのであろうか?答えを得るに値する質問だ。困難の中にあっても喜ぶべき理由を3つ挙げよう。

第一に、私たちがこの世で信者としてどんな苦しみに遭おうとも、それはいつか天の父にお会いするときに、天の父が私たちに与えてくださる報いとは比べものにならないことを知っているからである。聖書は、一時の軽い苦難に続く、永遠の栄光の重さについて教えている(コリント人への手紙第二41617)。

聖書はまた次のように書いている。「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙第一518)このみことばでは、すべてのことに対して(for)感謝するのではなく、すべてのことにおいて(in)感謝する、と書かれていることに注目してほしい。この二つの言葉には、天と地ほどの違いがある。

主において喜ぶ第二の理由は、主が他のどんな平安ともまったく異なる心の平安を与えてくださるからだ。イエスは言われた:「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」(ヨハネの福音書1427

この世が与える平和には、経済的な安定、健康、仕事上の成功、地域社会での地位など、さまざまなものがある。これらはすべて一時的なものであり、明日には消えてしまうかもしれない。真の永続的な平和は、世が与えてくれるのではなく、主が私たちに与えてくださるのである。

最後に、私たちは主にあって喜ばなければならない。父が子を思うように、主は私たちを心配してくださると約束されているからだ。

「父がその子をあわれむように、主はご自分を恐れる者をあわれまれる。」(詩篇10313

イエスは地上を去って天に帰る前に、弟子たちに言われた: 「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻ってきます。」(ヨハネの福音書1418

そしてまた、このようにも約束されている。: 「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」。{ヘブル人への手紙13:5}

あなたのニーズが何であれ、私は主を求めることをお勧めしたい。主があなたにとって個人的な友であり救い主であると知っているのであれば、今日主にあって喜ぼう!

あなたはシャック(shuck=皮、殻)をつけていますか?

まず、「SHUCK 」の定義をしよう。

シャックとは、野菜や果物の使い物にならずにむいて捨てる部分のことである。ジャガイモの皮をむくとき、英語では “You are peeling off the shuck.” という。

食料品店の野菜売り場に行くと、2種類の軸のついたトウモロコシがある。完全に皮におおわれているもの(shuck)と、皮が半分ついているもの(half shuck)だ。

前者は完全に皮がついている状態のトウモロコシで、大雑把に山積みに並べられている。後者は、半分皮がむかれて中身が見えるようになったトウモロコシで、綺麗なプラスチックのパックに入っている。

そしてもちろんのことだが、あなたが商品を購入したら、家に持ち帰り、家で残りの皮(shuck)を取り除くことで、トウモロコシは皮なしとなる。

私は「シャック」という言葉とその意味を考えていた時に、これは神が私たちをどう見ているかということではないかと思った。皮がついている状態(shuck)、半分皮がついている状態(half shuck)、まったく皮がない状態(no shuck)、これらはすなわち、神から見た未信者、不従順な信者、そして従順な信者ということなのではないかと。

皮(shuck)ですべて覆われている状態は、一度もイエスを救い主として信じたことがない人を意味する。半分覆われている状態(half shuck)は、イエスのことを知ってはいるが未だに人生における罪について告白していない人、そして完全に皮が取り除かれている状態(no shuck)は、自分の罪を認識していて、それに向き合うことを選んだ人のことである。ここで最も重要なみことばはヨハネの手紙第一19である。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」

もし神があなたを見た時に皮しか見えなければ、あなたは神の臨在の中で生きる資格はない。

もし半分だけ皮が取り除かれているあなたを見たら、そこにはあなたが向き合わなければならない罪や不従順があるということだ。それらを告白すれば赦される。

もし神が、皮が完全に取り除かれているあなたを見たならば(それは神の子の義を受けとる信仰によってのみ可能)、あなたはいつの日か報いを受け、主の臨在に温かく迎え入れられるだろう。ローマ人への手紙第7章には、私たちはみな程度の差こそあれなんらかの皮や殻を持っているが、いつの日かすべてが取り除かれることが書かれている。

「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ人への手紙81

私から読者への質問はシンプルだ。

神があなたを見た時に、あなたは完全に皮がついた状態(shuck)だろうか?それとも半分だけ皮がついた状態(half shuck)?それとも完全に皮が取り除かれた状態(no shuck)だろうか?

今日あなたが自分の人生を見る時に、あなたが完全に皮で覆われてしまっている(shuck)のであれば、今日あなたの個人的な救い主としてイエスを信頼し、そして半分皮が取り除かれた状態になろう。

そして残っている皮(罪)を告白し続け、神があなたに生きてほしいと願ってる人生を生きる、と決意することだ。

決断するのはあなただ。決心したならば決して後悔することはないだろう。

あなたは何色のストライプをつけていますか?

最近、網膜の専門医を訪ねたとき、私はとても興味深い男性に出会った。

彼は、海軍の退役軍人であることを示す様々な装飾が施された野球帽をかぶっていた。私は彼に話しかけ、どんな船に乗り、どんな戦争に参加したのかと尋ねた。

彼は海軍に20年以上いて、2隻の空母に乗ったと言った。私たちは、海軍にいたときの経験について大いに語り合った。彼は海軍にいたときに撮ったたくさんの写真を見せてくれた。その中の一枚で、彼のユニフォームの左腕にいくつかの赤いシェブロン(階級などをあらわす逆V字型のストライプ、紋章)があることに気づいた。

さて、一つのストライプは4年間の勤務を意味する。規律上のなんらかの問題があった場合には、赤いストライプをつけることが義務づけられていた。彼が制服を着たさまざまな写真を見せてくれたとき、ある写真ではストライプは赤だったが、別の写真ではストライプが金色だったことに気づき、私は彼にその違いについて尋ねた。

すると彼は、金のストライプは完璧な記録を示すものだから、つけたくなかったと説明してくれた。長年に渡って彼は陸上パトロールで何度も過失を経験をし、そのために赤いストライプをつける必要があったのだ。(陸上パトロールは海軍の警察のこと) しかし、10年間ミスのない勤務をすれば、過去は許され、制服の赤いストライプは金のストライプに変わる。

彼は昇進し金のストライプをつけることになった。海軍の規定では、赤いストライプの入った制服を着用することは、軍服を脱いで軍法会議の対象となる。従って簡単に言ってしまえば、海軍では赤いストライプは悪いことをしたことを意味し、金のストライプは良いことをしたことを意味する。しかし彼は袖に金のストライプをつける資格がないと感じていた

このことを考えながら、私は自分自身に言った。これはまさに神が私たちをどのように見ているかということではないかと。聖書には、私たちはみな罪を犯したために、神の栄光を受けられないと書いてある。神の目から見れば、私たちはみな罪を犯したために霊的赤いストライプを身に着けているのだ。神はそれを罪と呼ばれる

しかし、イエスを信じる信仰によって、その赤いストライプが神の目には金色に変わるという良い知らせがある。コリントの信徒への手紙第二517節に、聖書はこう書いている。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

一緒に診察室を出て歩きながら、私は彼に簡単な質問をした。「神の目から見たら、あなたは金のストライプ、それとも赤のストライプ、どちらを身につけていると思いますか?」彼は何も答えず、ゆっくりと立ち去ってしまった。

私の祈りは、もし今日あなたが、自分には赤いストライプが相応だと思うのであれば、イエスに立ち返り、彼を救い主として求めてほしいということだ。そうすればあなたは(象徴的ではあるが)金のストライプを与えられて、神の御国に永遠の場所を得ることになるのである。

あなたは今、いと高き方の息子または娘であり、その方があなたに背を向けることは決してないことを確信し安心してほしい。しかし、もしあなたが罪を犯してしまったのならば、素直に天の父のみもとに行き、あなたの罪を告白し、赦されることを感謝しよう。

もしあなたが神の子であるなら、ストライプを赤から金に変える必要があるかもしれない人のところへ行って、この話を分かち合ってほしいと思う。

THE ANCHOR THAT HOLDS

We have this as a sure and steadfast anchor of the soul….” Hebrews 6:19

By definition an anchor is that which holds a boat of any size secure in a lake, a river or an ocean from drifting onto the rocks or into other problems. For our purposes today we choose to define the anchor of the soul. The soul In Scripture is the real you. The question then is what is the anchor for your soul\ boat of life? What is it in your life that gives stability in the everyday pressures of living?

For many people the anchor is money. They work 12-14 maybe 20 hours a day to secure money. As the bank account balance Increases, they feel more secure.

For others the anchor is found in property. The average person spends 30% of total income to buy and maintain property. You can add Another eight to 10% for transportation and another 10% to maintain your health.

Perhaps the most common anchor is retirement income. A person should or have a plan that equals 70 to 80% of gross income for retirement. However, unless your money is well placed and protected you could still lose it all.

The issue is not what you have or how much you have, but what you do not have. Every person was created to love God and serve him alone. The Bible is very clear “You cannot serve God and mammon.” (Matthew 6:24) By one definition mammon means money.

If you possess all that which is noted above, I am happy for you. But if you have all these things and still do not have peace in your heart, God is waiting to help you. I have friends who are wealthy and others who are poor, but they all have that peace which money cannot buy. Your Heavenly Father wants you to have this peace regardless of income.

He alone can give you that anchor and peace. If you have everything, but you do not have peace, I encourage you to go to your pastor or close Christian friend and share your heart about your lack of peace.

For further study I recommend that you read carefully Luke 12: 22-34.

神は存在するのか?投稿日:2024年12月2日

何世紀にもわたって、あらゆる国籍と文化を持つ人々に問われてきた二つの質問がある:

1)神は存在するのか?

2)神を知ることはできるのか?

聖書は、「いまだかつて神を見た者はいない。」(ヨハネ1:18)、「神は霊である」(ヨハネ4:24)と教えている。もし誰も神を見たことがなく、神が霊であるなら、私たちはどうやって神の存在を知り、神を知ることができるのだろうか?

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ話を伝え、夜は夜へ知識を示す。話しもせず、語りもせず、その声も聞こえない。しかし、その光芒は全地に、そのことばは世界の果てまで届いた。神は天に、太陽のために幕屋を設けられた。」(詩篇19:1-4)。

私たちを取り巻く世界は、日々私たちに神が存在することを教えてくれている。

高価なスイス製の時計を見て、その時計に製作者がいることを否定する人はいないだろう。むしろ、誰かがどこかでその時計を設計し組み立てたことに同意することと思う。

また聖書にはこう書かれている 「御子(イエス)は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、、、、、、、、、、、、万物も御子によって造られ、御子のため造られました。」(コロサイ1:15,16)

神が存在すること、神を知ることができることを、私たちはどうやって知ることができるのだろうか

1. 被造物がそれを証明している

2. 神は、イエスという人となられた

しかし、私たちは信仰によってのみ、神の存在を知り、神を知ることができる

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです」 (ヘブル11:6 )

 信仰によって、神とその御子イエス・キリストに信頼を置くとき、その信仰は私たちの心の中で確かなものとなり、神がおられること、神は私たちを愛しておられること、そして私たちが神を知ることができることに疑いを持つことはなくなる。

今日、信仰によって神を求めるあなたに、神の祝福がありますように!